なんです。もっとも、軍人だけに限りませんや。すべて各界に於ける最大の裏切りは、その道の者が行うのですよ。何事によらず、そうですとも」
余はむしろ彼自身がそのような放火犯人にふさわしいと考えたが、彼の物腰も言葉もいかにも分別と落付きに富む風情で、変った様子は見受けられなかった。
しかるに次の日曜日に再び騒ぎが起った。羽生が単身学校にのりこんで、教室の床板をはいでいるというのである。
余が報に接して学校に赴くと、今回は戒厳令下の如きものは一切見当らない。子供たちは何事も知らぬげに校庭に遊んでおり、羽生がひとり教室の中で床板をはぐ作業に没入していた。
「御精がでるね」
と余は笑いながら彼に近づいた。
「学校の修繕かね」
「なーに。これは私のものだから、傷まないうちに取返すんですよ」
「君がそんなことをする人かね」
「へ。自分のものを取返すのが変ですか」
「君は手弁当で村のために献身する人ではないか。別して、学校再建のためには人知れず孤軍奮闘している人だ。学校再建のためにすでに相当の私財をそそいでいる筈ではなかったかね。この床板に限って取返すとはわけが分らないじゃないか」
「手弁当でやりましたとも。しかし、人間はいつまでも同じことやると限ったものじゃないですよ。子供をなだめるような言い方は、失敬千万ですぜ。それとも、今まで手弁当でやったから、私の財産はみんな学校へやっちまえと仰有《おっしゃ》るのですか。きいた風な口をきく代りに、あなたがやって下さいよ。私はもうこりごりですよ。そこは邪魔だから、向うへ行ってもらいましょう」
余はやむを得ずそこを去った。ふと宿直室をのぞいてみると、マリ子もその母も外出中らしく姿が見られなかったが、カリエスの病人が粗末な寝台にふとんをしいて寝ているのが見える。寝台とは云え、土間に棒をわたして板を並べただけのもので、土間から二三寸高いだけである。かりにも寝台なぞと申すべきものではなく、路傍の変死人を近所の小屋へ安置したようなものだ。このまわりに母と姉が藁をしいてもぐりこんでいる有様を想像すれば、難民の姿にまさる悲惨さである。これが大佐の遺族かと思えば余の胸はつぶれる思いであった。
余は羽生のもとへ引返して、
「御多用中相済まぬが、ひとつ商談に乗っていただきたい。私が私財で宿直室に床を張りたいと思うが、適当な値で板をゆずっていただけまいか」
「私も元をとるつもりだから、値は特に安くはできませんが、それでよろしければゆずりますとも」
相当な高値であったが宿直室に張れるだけの床板をわけてもらった。羽生は作業を終えて、板を車につみこみはじめたので、余は彼に大工道具を借りうけ、宿直室の床張り作業にかかりはじめた。そこへマリ子が帰宅した。
マリ子は余に挨拶も返すことなく余の作業を眺めていたが、次第に蒼ざめた顔になった。
「よして下さいよ。私にことわりもなく」
マリ子は余につかみかかって大工道具をひったくった。余はマリ子の感謝をうけるものと一途に思いこんでいたために、途方にくれてしまったのである。
「心やすだてに無断で作業をはじめて相済まない。日暮れまでに床を張りたいと思い立ったのでね」
「誰にたのまれてですか」
「たのまれたわけではないが、あなたがたばこと同じように喜んで受けてくれると思ったのでね」
「たばこと同じにですって! たばこと何が」
マリ子の見幕がすさまじいので、余は言葉を失った。マリ子は土間の中をぐるぐる歩きながら云った。
「私たちはたたみなんて、もう捨てたんです。憎んでいます。たたみに甘えるぐらいなら、恥辱に生きられやしない。この病人をたたみへのせるぐらいなら、一思いに締め殺して安らかにさせてやるわ。私のおなかには恥だらけの子供がいるんです。先には子供をおろしたけど、もう、おろさない。大威張りで父なし子を生んでやるわ。土と藁の中へ生みつけてやるわよ」
暫時のうちにマリ子の頬はげっそり落ちていた。目もくぼんで険しかった。余は跫音《あしおと》を忍ばせて去ったのである。
校舎の蔭に羽生が身をひそめて聞いていた。余の去るを見て、彼も車をひいて従った。
羽生は余にささやいた。
「女はあんなものですよ。一皮むけば、どの女もあんなものです」
余は思わずかっとして叫んだ。
「だまれ! 人非人。貴様であろう。この学校に放火したのは。貴様がこの村の全ての不幸の元兇だぞ」
「私が放火したと仰有るのですか」
「人の不幸をたのしむために床板をはぐことを発案したのは貴様ではないか。貴様のほかに村の学校を燃す奴がいるか」
「これは面白い」
彼は車から離れ、右手に金槌をぶらさげて余に近づいてきた。
「私はね。誠心誠意、村につくしたつもりです。私財をなげうち、己れをむなしゅうして村のために尽したのです。しかも私
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