羽生への吊し上げは猛烈をきわめた由であるが、それは彼らが、費用の負担をまぬがれたい一念によるものの如くである。村の噂によれば、結局羽生が全額負担することになったという話であった。
 思えば羽生も不思議な人物である。あるいは悲劇的な人物と申すべきかも知れぬ。村のためには手弁当で東奔西走しながら、報われること少く、また彼の意見が尊重されたこともない。たまたま彼の意見が敬意を払われた如くである場合には、狡猾な村人たちが負担を彼に負わしめた場合の如きに限られているようである。
 彼は富める人の如くにも思われぬから、手弁当はとにかくとして、今回の失費の如きをいかにして支払うのか、人ごとながら頭痛にやんだほどである。しかるに彼は彼自身の損害や心痛については決して語ろうとしなかった。彼は身にふりかかる苦難は誰にも秘めて堪え忍ぶのが本懐なりと堅く心に期するものの如くである。それにひきかえ彼に苦難を与えた人物に対しては邪推の限りをつくして悪口を浴せた。
「今だから申しますが、小学校の怪火には、放火した犯人がいるのです」
 彼は余を役場へみちびく道すがら、突然そのようなことを云いだした。
「君はその犯人が放火の現場を見たのですか」
「見てはおりませんが、諸般の状況で彼が犯人であることに間違ありません。犯人は根作ですよ」
 憎悪に狂ったあまりの例の邪推に相違ない。余が聞き耳をたてる風がないのを見て、彼はいささか気色ばんで説明をはじめた。
「昨年、小学校の怪火に先立って火事が三度もつづいたのは御記憶のことと思います。いずれも火の不始末からの失火ですが、この村に三度も火事がつづくなどとは、曾《かつ》てない異常な出来事です。当時村の消防団長だったのが根作ですが、そこで彼が先頭に立って、防火週間というものをやりました。戦争中でも防空演習をやらなかった村なんですが、こう火事ばやりでは実戦的にやらなくちゃア、まさかの役に立たないからというので、バケツリレーを戦時の東京と同じように村民総出で一週間つづけましたね。あなたもバケツリレーに参加されたようですが、村民の大部分は渋々ながらも参加したようなわけです。ところが、小学校の教員の大半の者がとうとう一日も姿を見せなかったのです。彼らの云い分によると、バケツリレーというものは、空襲の場合なぞに限られるもので、みんなが支度をととのえて火事の起るのを待ちかまえている時に限って役に立つかも知れないが、平時の火事にはリレーするほど火事にそなえて人がかたまっている筈はない。早い話が小学校に深夜の火事があった場合、その近所には民家が一軒もないのだからバケツリレーはできない相談だ。それだけの人数が集る時には消防が到着している筈で、もしも消防が到着せずにバケツリレーで消す必要があるとすれば、そんな消防団こそ大訓練をやって魂のすげかえをしなければならないと云うのです。小学校には宿直という者がおって常時火の用心を心がけているから、今さらバケツリレーなどに参加の必要はないと云って、根作がいかに談じこんでも防火週間に協力してくれなかったのです。村民の大半もイヤイヤながらバケツリレーに駆りだされていたのですから、学校の先生の云い分が尤もだと云って、根作の評判の方が悪かったのです。根作はそれを根に持ったのです。彼は小学校の校長と、こんな風に言い合いました。(小学校から火事がでれば宿直の者がきっと消すか)(宿直は消防じゃないから火事を消すことはできないが、火事がでないように厳重に見まわりを行っているから、学校から火事がでる心配はない)私はそのとき一しょにそこにいましたが、根作はこう云われて、返す言葉もなく無念の唇をかんでいたのです。無念のあまり、彼は小学校に放火しました」
「誰かそれを見た人がいるのかね」
「誰も見たわけではありませんが、彼の放火に間違ないのです。その晩宿直の教員が宿直室をぬけだしてだるま宿で一ぱいやって酔っ払ってしまったのです。そのとき隣り座敷に飲んでたのが根作です。根作は宿直の教員がへべれけになって学校へ戻ったのを知ってだるま宿を立ち去りました。宿直の教員は校内の見廻りを忘れてぐっすりねこんでしまったのですが、約三時間後にふと目をさました時には校内は火の海だったのです。彼は見廻りは怠りましたが、火の気のあるべき筈のない校舎の方から火事が起ったことは明かなんです。怪火の原因はいまだに不明とされていますが、根作の放火は間違のない事実ですよ」
「かりにも消防団長が放火することもあるまい。彼は特に熱心な団長だったそうだね」
「熱心のあまりです。戦争を裏切る者は軍人ですよ。私も多少兵隊のめしを食っていますから、軍人が威張り屋で人一倍嫉妬心の強いことが身にしみています。奴らが一番願っているのは、国のことではなくて、自分の成功と、他人の失敗
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