カリエスのためかねて病臥のままであった。
 余分の住宅がある筈もない山里のこととて遺族は転居先に窮した。そのとき、学校の同僚が見かねて、宿直室にマリ子一家を収容すべしと定め、役場や村会にはかることなく転居せしめてしまったのである。
 ために役場の楼上には緊急村会がひらかれて対策が凝議せられた。村会の意見では、学校側の処置は村に対する公然たる対敵行為であるということである。そこで余が立って、
「学校側が無断でこの処置を実行したのはよろしくないが、同僚たる教員一家が住宅に窮している際に、学校の宿直室を提供しようとはかるのは唯一の策で、策として難ぜらるべきところはない。彼らの処置が一見対敵行為の如く角が立って見えるのは、そもそも防火用水設置に当って小野遺族の住宅に白羽の矢をたてたやり方や、転居先を用意してやらなかったことなぞが、彼らをして敵意をいだかしめる原因をなしているように愚考する。要するに、村の処置にも反省すべきところがあるように思う」
 かく論じ終る暇もなく、
「何を云うか!」
 と大喝した者がある。馬と鹿の根作であった。彼は村会議員である。彼は云った。
「ないものは仕方がない。それとも村長は手品を使って空き家をつくることができるか」
 山里の人間は妙な譬喩を用いて論議を行う天分がある。
「そもそも学校の宿直室は公器である。同僚の危急見るに忍びないのは結構であるが、それでは何故に彼らの私宅を開放して収容しないのであるか。村の公器を私用に供するとは奇怪なる汚職事件である」
 根作はこう断じて見栄をきった。農民は意外に弁論に長じているもので、村長に就任以来特に余の痛感したのはこの一事である。浅薄な常識論を述べたてて、意外に深刻な反撃を喫したことは一再にとどまらない。余の悪癖は口の軽く論拠の浅いことである。余は根作の反撃をうけて沈黙せざるを得なかった。
「村長無用!」
「村政に口をだすな!」
「約束を忘れたか!」
 口々にこう罵られて、余はいさぎよく退席した。無為無能の村長をもって任じているから、反撃をくらえばこだわりなく退くだけの悟りは開いていたのである。しかるに余の退席後、奇怪な決議が行われたらしい。
 次の日曜日に大工が小学校を奇襲して、職員室と宿直室の根太をはいだ。これを一部に当てて教室に床を張ったが、その代りとして、職員室と宿直室は土間に変ってしまった。
 報に接して余も学校にでかけたが、村長たる余でさえも、村会議員とその手先の村民にさえぎられて、工事の現場に立入ることはできなかった。村民の一部は消防の装束をまとって、禁止区域に立入る者は容赦なく撃滅の覚悟をかためていたようである。
「戒厳令下だね」
 と余が呟くと、
「不謹慎な。口をつつしみなさい。元軍人とも思われぬ」
 羽生が青筋をたてて余を罵った。
 先日羽生が余に向って本日の出来事と同じようなことを口走ったのを耳にとめていたから、本日の挙も発頭人は彼であろうと考えた。そこで余は羽生に向って、
「貴公は先日数年来の決算書類を余に提示して逆さに振っても根太板一枚でないことを強弁したばかりであるが、あれは一時の偽りだね。本日の挙は甚だ不合理ではないか」
「はッはッは。今日のことでは一文も村費は使っていませんぜ。これぐらいは、まだ序の口さ。あのあばずれやその同類を村から叩きだすためなら、根作なぞは自慢の馬を売ってもよいと云ってるぐらいさ」
「鹿の頭がなくなってよろしかろう」
「不謹慎な!」
 羽生はまた青筋をたてたが、余らを取りまいていた村民たちはげらげら笑った。そして噂のひろまるのはまことに早いもので、本日の大工費用は根作が自慢の馬を売って用立てるそうだということが学校をとりまいて見物していた人々の口から口へ伝わったのである。それを聞きつけたので、根作が血相変えてやってきた。
「村長はいるか。どこだ」
 待ってましたと羽生が彼を迎えて、
「村長はまことに不謹慎だ。お前さんが馬を売れば、鹿の頭がなくなってよろしかろうと云っている」
「ヤ。そのことで来たのだが、今日の費用は俺が馬を売って調達するとは、いったい村長は何を根拠にそんな阿呆なことを云うとるのか。俺がいつそのようなことを云うたか。村長は俺の馬がそんなに憎いのか。俺の馬を売らせたいのか」
 羽生は当てが外れて狼狽した。
「いや、馬の話は今日のことではない。今日の費用は俺が自腹を切ってもよい。その話はまた別だから、まア、こッちへ来なさい」
 羽生は根作の手をひいて、誰も居ない方へ急いで連れ去った。
 余はマリ子の姿をさがした。故大佐と余とは陸海軍の相違があるから、たまたま県人会などの席で顔を合せた程度で、深い交りというものはなかった。しかし、故人の遺族が本日の如くに難儀しているのを同じ軍人として見過すわけにはゆかない。
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