ら、さかりのついた猫の声と同様のけたたましい笑ひ声を耳にしては、腸のよぢれる思ひがしたことであらう。
翌朝旅人が温泉へ向けて出発すると、その一町ほどうしろから禅僧がうなだれがちに歩いてゐた。禅僧は旅人に一言頼みたいことがあつたのである。あの野性のままの女を旅先の気まぐれな玩具にしないでくれ、と。禅僧は栄養不良でヒョロ/\やせ、顔色は不健康な土色だつた。強度の近視眼で、怪しむやうに人を視凝《みつ》める癖があつた。縞目も分らないほど古く汚れた背広を着て、脚絆に草鞋をはいてゐた。
禅僧のたど/\しい足どりがそれでも十間ぐらゐの距離まで旅人に近づいた時のことだが、旅人は九十九折の山径のとある曲路にさしかかつた。一方は山の岩肌、一方は谷だ。
突然頭上のくさむらから人間の頭ほどある石が落ちて、旅人の眼の先一尺のところを掠め、石は径にはづみながら、大きな音響を木魂しながら深い谷底へ落ちていつた。旅人が慄然として頭をあげると、姿はもはや見えないが頭上のくさむらをわけ灌木の中をくぐつて逃げて行く者の気配がはつきり分つた。
「あいつですよ。ゆふべ私と酒をのんでゐた女、突然貴方の部屋へおしかけていつた
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