も喉がつまつて叫びがでなかつた。苦悶のために表情は歪み、足は竦んで動けなかつた。ヒイ/\といふ掠れた悲鳴が喉にうなつた。これだけの物々しい前奏曲があつたために、お綱もつひ突き落す気持になつたのである。それほどの力をいれて突いたわけでもなかつたのに、坊主はあつけなく古沼へ落ちた。水の中での死にものぐるひの騒ぎといつたらなかつたのである。死を怖れる最も大きな苦悶と醜体がかたどられてゐた。坊主のもがいてゐた場所は岸から三尺ばかりのところで、落付いて腕をのばせば子供でも溺れる心配のない場所である。彼が恐らく全身のエネルギーを使ひきつた証拠には、漸く岸へ這ひあがると、這ひあがつたなりの腹這ひの恰好のまま、だらしなくのびてしまつて這ひづることもできなかつた。それを見ると、お綱の眼の光が全く変つた。真剣なものが全身にみなぎり、亢奮のために胸がふくれ、急に顔に紅味がさした。お綱は猿臂をのばして禅僧の襟首をとらへ、ずる/\とひきづつて今度は真剣に古沼の中へ頭の方から押し込んでしまほふとしたのである。禅僧はギャッといふ悲鳴をあげてお綱の片足にかぢりついた。お綱よ、命だけは助けてくれ! 死ぬのは怖い! 禅僧
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