である。
「そうだ! 奥方の話をきくのが残されている。ウッカリだ。新聞記者の足は天下クマなく話を追わなければならない」そこで奥方をつかまえて暫時の質問の許しを得た。
「昨日は御主人は酔って御帰館でしたな」
「ええ。ふだんは飲まない人ですのに」
「ハハア。ふだんは飲まないのですか」
「選挙の前ごろから時々飲むようになったんですよ。でも、あんなに酔ったことはありません」
「なぜでしょう?」
「分りませんわ。選挙がいけないんじゃないですか。立候補なんてねえ」
「奥さんは立候補反対ですか。よそではそうではないようですが」
「それは当選なさるようなお宅は別ですわ。ウチは大金を使うだけのことですもの、バカバカしいわ。ヤケ酒のみのみ選挙にでるなんて変テコですわよ」
「ヤケ酒ですか、あれは?」
「そうでしょうよ。私だって、ヤケ酒が飲みたくなるわ」
「なぜ立候補したのでしょう?」
「それは私が知りたいのよ」
「なにか仰有ることはあるでしょう。特にヤケ酒に酔ッ払ッたりしたときには」
「絶対に云いませんよ。こうと心をきめたら、おとなしいに似合わず、何が何でもガンコなんですから。なにかワケがあるんでしょうが、私にも打ち開けてくれないのです」
奥方の声がうるんだ。しかし、寒吉にとってはバンザイだ。やっぱり何かあるのだ。奥方にもナイショの秘密。敗北せざるうちからのヤケ酒。これがクサくなければ、天下に怪しむべきものはないじゃないか。だが、功を急いではいけない。奥方は秘密を知らないのだから、いらざる聞きだしをあせらずに、まず奥方の心をとらえておくことだ。
「御心配なことですね。ですが三高さんも必死の思いでしょうから、できるだけ慰め励ましてあげるようになさることですな」
「私もそのつもりにしてるんですよ。そして、せめて一票でも多いようにと、蔭ながらね」
「ゲッ。いけませんよ。あなたが蔭ながら運動すると選挙違反ですよ」
こう云われても涼しい顔をしているのは、選挙違反という言葉にも縁遠いようなよくよく世間知らずの生活をしているせいだろう。あるいはロクに教育もないのかも知れない。善良そうではあるが、めったに新聞も読まないような女に見えた。そこで寒吉が選挙違反について説明の労をとると、その親切だけ通じたらしく、彼女はニコニコして、
「ありがとう。でも私が蔭ながらしてるのは、神サマを拝むことだけですよ」
彼女の顔はあくまで涼しいものだった。
社へでて部長に報告した。
「なんでケンカになったんだ」
「それが分らないんですが、大方サクラの奴が仕事に忠実でないから、横ッ面を張られたのでしょうな。酔えば張りたくなるような奴なんですよ」
「それじゃア何から何まで変なところはないじゃないか」
「女房にも立候補の秘密をあかしてなくともですか」
「バカ。秘密がないからだ」
「ナルホド」
「しかし、記事にはなるかも知れんな。花見酒の候補者。書いてみろ」
「よして下さいよ。そんなの書くために一日棒にふりやしないよ。今に見てやがれ」
「アレ。まだ諦めないのか」
「諦められないとも。こうと睨んだ稲荷カンスケの第六感、はずれたタメシは――」
「大ありだ」
「その通り!」寒吉はパチンコにもぐりこんで、半日ウサをはらした。
寒吉はコクメイにメモをしておく習慣があった。社会部記者の目は一物も見逃すべからずという戒律の然らしめるところで、ヒマあればこれを取りだして心眼を磨くのである。
「これだ! ざまア見やがれ!」
メモに「陰鬱なる目。彼ののぞかせた唯一の本音」とある。鬼の首とはまさにこれだ。この目をつかんだ以上は。
しかし、その後はパッとしたことがない。
「やっばりケンカは変なことのうちだな。パンパン街の演説だってタダモノのやれる芸当じゃねえや。してみれば、みんな変じゃないか。よーし。毎朝奥方を訪問しよう。ポチャポチャッと可愛いとこがあらア。毎朝の訪問にしちゃ気がきいてるなア、これは」
変なところにハゲミをつけて、出勤の途中に毎朝ポチャ/\夫人訪問を忘れないことにした。パチンコでせしめたキャラメルなぞを手ミヤゲにしながら。
そんな次第でポチャ/\夫人とはかなり打ちとけた話をする仲になったが、立候補の秘密の方はそれに比例して影が薄れるばかりである。なぜなら、打ちとけるにつれ、夫人は心配そうな様子を見せなくなったからである。
「主人が代議士になったら、どうしましょう。代議士夫人ねえ」なぞと途方もないことを口走るシマツになったからである。
「よくよくバカだな、この女は」
と寒吉はタンソクしたが、また、可愛い女だと毎朝の訪問が目当てのちがうタノシミになるというダラシのない有様になった。
そのうちに選挙が終った。三高吉太郎の得票一三二。百を越したのはアッパレというべきだ。まさに事もなく終幕
前へ
次へ
全8ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング