深めうる可能性すらあるではないか。生活力の幅の広さ、発散の大きさ、それは又文学自体のスケールをひろげる基本的なものではないか。
 文学は、より良く生きるためのものであるといふ。如何に生くべきかであるといふ。然し、それは文学に限つたことではなく、哲学も宗教もさうであり、否、すべて人間誰しもが、各々如何に生くべきか、より良き生き方をもとめてやまぬものである故、その人間のものである文学も亦、さうであるにすぎないだけの話である。然し文学は、たゞ単純に思想ではなく、読み物、物語であり、同時に娯楽の性質を帯び、そこに哲学や宗教との根柢的な差異がある。
 思ふに文学の魅力は、思想家がその思想を伝へるために物語の形式をかりてくるのでなしに、物語の形式でしかその思想を述べ得ない資質的な芸人の特技に属するものであらう。
 小説に面白さは不可欠の要件だ。それが小説の狙ひでなく目的ではないけれども、それなくして小説は又在り得ぬもので、文学には、本質的な戯作性が必要不可欠なものであると私は信じてゐる。
 我々文士は諸君にお説教をしてゐるのではない。解説をしてゐるのでもない。たゞ人間の苦悩を語つてゐるだけだ。思想
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