がれが欠けてゐる。これの卑小を省る根柢的な謙虚さが欠けてゐるのだ。わが環境を盲信的に正義と断ずる偏執的な片意地を、その狂信的な頑迷固陋さの故に純粋と見、高貴、非俗なるものと自ら潜思してゐるだけのこと、わが身の程に思ひ至らず、自ら高しとするだけ悪臭|芬々《ふんぷん》たる俗物と申さねばならぬ。
 大阪の市民性にはかゝる江戸的通念に対して本質的にあべこべの気質的地盤がある。たとへば江戸趣味に於ては軽蔑せられる成金趣味が大阪に於てはそれが人の子の当然なる発露として謳歌せられる類ひであつて、人間の気質の俗悪の面が甚だ素直に許容せられてゐる。
 織田が革のジャンパーを着て、額に毛をたらして、人前で腕をまくりあげてヒロポンの注射をする、客席の灯を消して一人スポットライトの中で二流文学を論ずる、これを称して人々はハッタリと称するけれども、かういふことをハッタリの一語で片づけて小さなカラの中に自ら正義深刻めかさうとする日本的生活の在り方、その卑小さが私はむしろ侘びしく、哀れ、悲しむべき俗物的潔癖性であると思ふが如何。
 むしろかゝる生活上の精力的な、発散的な型によつて、芸術自体に於ては逆に沈潜的な結晶を
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