学は現実の複写ではないといふ、紙の上の実在にすぎないのだから、その意味では嘘の人生だけれども、かゝる嘘、可能性の中に文学本来の生命がある、といふ。文学は人性を探すもの、より良き人生をもとめるものなのだから、可能性の中に文学上の人生が展開して行くのは当然なことで、単なる過去の複写の如きは作文であるにすぎず、文学は常に未来のためのものであり、未来に向けて定着せられた作家の目、生き方の構へが、過去にレンズを合せたときに、始めて過去が文学的に再生せられる意味をもつにすぎない。
 大阪の性格は気質的に商人で、文学的には戯作者の型がおのづから育つべきところであるから、日本文学の誠実ぶつた贋物の道徳性、無思想性に、大阪の地盤から戯作者的な反逆が行はれることは当然であつたらう。
 然し、大阪的な反逆といふのは、まことに尤もなやうで、然し、実際は意味をなさない。ともかく大阪といふところは、東京と対立しうる唯一の大都市で、同時に何百年来の独自な文化をもつてゐる。おまけに、その文化が気質的に東京と対立して、東京が保守的であるとすれば、大阪はともかく進歩的で、東京に懐古型の通とか粋といふものが正統であるとすれ
前へ 次へ
全20ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング