正しさの裏打ちで、悩むことが生き方の正しさの裏打ちで、だからこの思想、この小説はホンモノだといふ。文学の思想性を骨董品の鑑定のやうなホンモノ、ニセモノに限定してしまつた。おまけに、なぜホンモノであるかと云へば、飛躍がなく、戯作物がなく、文章自体が遊ばれてゐないこと、作者がその心を率直に(実は率直らしくなのだが)述べてゐること、それだけの素朴な原理だ。
 作者が悩んでゐるから、思想が又文学が真実だ。態度がマヂメだから、又、率直に真実をのべてゐるから、思想が又文学が真実だといふ。これは不当な又乱暴な、限定ではないか。素朴きはまる限定だ。
 俺が、かう思つた。かう生活した。偽りのない実感にみちた生活だ、といふ。さういふ真実性は思想の深さとは何の関係もない。いくら深刻に悩んだところで、下らぬ悩みは下らないもので、それが文学の思想の深さを意味する筈はなく、むしろ逆に、文学の思想性といふものをさういふ限定によつて断ちきつて疑ることを知らないところに、思想性の本質的な欠如、この作者の生き方の又文学の根本的な偽瞞がある。浅さがある。
 志賀直哉は本質的に戯作者を自覚することの出来ない作者で、戯作者の自
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