れてこのかた大自然の風景などには目をくれたこともなく、人のアラを探しだしては大喜びで、彼奴が死んだらこの材料を生かして大追悼文を書いてやらうと虎視タン/\考へてゐる。近代文学の知性感受性などには全然不具者なのだが、だから若し、彼が不具者でない時がくると、近代文学が全然不具者だといふことになる。まつたく、近代文学が彼に分る筈はないのだ。なぜなら近代文学といふものは一列一体憂鬱とか感傷を根幹にして生えてゐる樹木だからだ。然し、近代文学など分る必要はないのである。たゞ、文学が分ればいゝ。さうして憂鬱だの感傷にまつたく縁もゆかりもない彼自らの勝手な文学をでつちあげてしまへばいゝのだ。非常に痛快なものが誕生する筈なのである。そのくせ生粋無垢の純情で、女を口説くことなど永遠にできない男なのだ。彼の性格通りの独自な文学が出来上ると、さしづめ僕などの文学は一番対立する筈なのだが、一日も早く、さういふ風になつて欲しいと僕は思ふ。
 近頃郡山千冬が「野球界」に野球を論じ、それを大井広介が愛読したりケシかけたりしてゐるけれども、怪しからぬことである。野球だの相撲などといふものはその道で叩きあげた玄人あがりの
前へ 次へ
全10ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング