いけれども、女の一念、我慢に我慢を重ねた。聟がきまってみれば、もう、しめたもの。なにも苦しんで歯をみがくことはない。
 馬吉は驚いた。花嫁が口をあけると、一尺はなれていても、卒倒しそうになる。退歩主義にも限界があって、人間が豚の申し子とチギリを結ぶということは不可能であるとキモに銘じたのである。
 そこで彼は仮病を使って一室にこもり、ウンチクを傾けてアチャラカの脚本を書いた。彼のウンチクは学ではなくて育ちであった。痩せても枯れても浅草で育ったジンタのアンチャンであるから、輝かしいノスタルジイの発露であったワケである。
 馬吉は脚本をフトコロに、二斗ほどの米と寝具一式リヤカーにつけて浅草の狸劇団を訪問した。二斗の米はコンミッションではない。自分の食いブチであった。
「よせやい。何が不足で百姓の聟に見切りをつけようてんだ。不料見な野郎じゃないか」
 と、支配人兼文芸部長の品川一平が怒鳴りつけた。
「あなたは知らねえよ。ボクは退歩主義者なんだ。文明というものは、結局、退歩することですよ。つまり、みんなパンパンになる。みんなアイノコになる、ねえ、そうでしょう。わからねえのかな。結局、みんな、アイノコにならなきゃいけないじゃないですか。日本とかマレーの土人がヨーロッパに近づくというのは、失礼ですが、マチガイなんだと思わねえかな。ヨーロッパが日本やマレーに近づくことが文明ですよ。だって、下から上がるのは元々ムリじゃないか。上から下へ落ちるほかに手はねえや。だからボクだって、覚悟をきめて百姓のお聟さんになって、ボクは下ったツモリだったけど、これがマチガイですよ。だから、また、下らなきゃいけない。狸劇団へ身をやつす。退歩主義、必死の思いですよ。たのみます」
「ふざけるない」
「ふざけちゃいないよ。なんでも、やるからね。役者でも、道具方でも、ハヤシ方でも、選り好みはしないよ。あんなもの、ちょッと稽古すりゃ出来るだろう。なんなら、あなたの書生でもいゝよ。メシを食わして寝かしてくれりゃ、なんでも、やらア。この小屋の火の番やろうか。ちゃんとフトン持ってきたから、舞台のマンナカへ寝かしてくれりゃ、なんでもないじゃないか」
「ふうん」
 といって品川一平はソッポを向いたが、彼は心眼によって、馬吉の非凡なところを見抜いたのである。よほどのバカでなければ出来ないショーバイというものがあるものだ。然
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