ンカツが食いたかったんだけど、あいつは高いからさ。ずいぶん我慢しちゃった」
というグアイである。
「このゴクツブシめ。時世というものを考えてみやがれ。配給というものがあって、政府、国民、一身同体、敗戦の苦しみてえことを知らねえのか。バチアタリめ」
「アレ。心得ているクセにムリなこといってるよ。配給じゃ生きられねえから、ここの商売がもってるくせに、いけねえなア。キマリの悪い思いをさせるよ」
そこで新しいオヤジとオフクロが額をあつめて秘密会議をひらいた。無給でコキ使っても、ひき合わないからである。バラバラにきざんで、隅田川へ捨てる、というワケにも行かない。よく切れる庖丁もあることだし、馬みたいのものだが、馬のように怒って蹴とばす心配もないのだが、戦争に負けても、刑務所などゝいうものが、なくならないのだから始末がわるい。
そのときオヤジがオデコをたゝいて新発見を祝福した。オヤジが米の買い出しに出向く埼玉の農家に、ウス馬鹿でヤブニラミの一人娘がいるのである。聟を探しているが、女ヒデリでない当節、まして田舎のアンチャン方は都会のセビロやジャンパアなどを買い集め、洋モクをくゆらしてダンスを踊る貴公子であるから、人三化七には見向きもしない。
オヤジとオフクロは馬吉に因果を含めた。この一件を不承知ならば、勘当する。目下、民主主義の時世であり、満二十歳を迎えると、独立の人格であるから、親でも、子でもないのである。まことに正論であるから、馬吉も悟るところがあった。義理人情がないということは、実にアッパレ、スガスガしいものだ。戦争にもまれて育った馬吉であるから、真に美なる人間性に認識のあやまることはない。
彼が退歩主義というものを深く感ずるに至ったのはこの時で、さればこそ、天命に殉ずる一兵士の心得をもって聟となったのである。盛大な婚礼であった。
彼の花嫁は猪八戒《ちょはっかい》に似た面白い顔立であった。カラダも小肥りで、ちょッと鳩胸でデッ尻で、顔立を裏切らないところに良さがある。然し意外なところに難所があった。田舎育ちの一人娘で甘ったれて育ったせいで、彼女は終戦を迎えるまで歯をみがいたことがないのである。終戦以来、セップン映画というものを見て、彼女はキモをつぶし、にわかに歯をみがくことを覚えたが、もう、おそい。一本残らずムシ歯である。歯をみがくと神経を刺戟して歯痛を起す。苦し
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