んだのである。
「お峯や……」と、そこで彼は長いこと思案してから急に斯う弱々しい声で女房に呼びかけたが、彼の顔色や肩のぐあいや変なふうにびくついてゐる唇をみると、彼もよほどの決意を堅めたといふことが分るのである。「お前はこういふことに大変くわしいと思ふのだが、あのねえ、お峯や、高貴な方には一日ばかり発喪をおくらすといふことも間々あるやうに言はれとるが……」
 ところが、めざとい女房は夫の魂胆をひどく悪く観察してしまつた。とはいふものの、勿論それは半分図星であつたには違ひない。寒原半左右衛門はだらしのない呑み助であつた。ことに他家《よそ》の振舞酒をのむことが趣味にかなつてゐた。おまけに、凡そ能のない此の男だが金輪際たつた一つの得意があつて、村の衆に怪しげな手踊を披露する此の重大な一事にほかならなかつたのだ。全身にまばゆい喝采を浴びたこの幸福な瞬間がなかつたとしたら、彼はとうの昔に首でもくくつて――いや、これは失礼。極めて小数の人達しか知らない悪い言葉を私はうつかり用ゐたのである。
「おや、この人は変なことをお言ひだよ」と、そこでお峯は怖い顔で半左右衛門を睨みつけた。「胸に手を当ててごらん
前へ 次へ
全23ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング