村のひと騒ぎ
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)他家《よそ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)突然|雀躍《こおど》り
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ニタ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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その村に二軒の由緒正しい豪家があつた。生憎二軒も――いや、二軒しか、なかつたのだ。ところが、寒川家の婚礼といふ朝、寒原家の女隠居が、永眠した。やむなく死んだのであつて、誰のもくろみでもなかつたのである。ことわつておくが、この平和な村落では誰一人として仲の悪いといふ者がなく、慧眼な読者が軽率にも想像されたに相違ないやうに、寒川家と寒原家とは不和であるといふ不穏な考へは明らかに誤解であることを納得されたい。
寒原家の当主といふのは四十二三の極めて気の弱い男であつた。この宿命的な弱気男は母親が息を引きとるとたんに、今日は此の村にとつてどういふ陽気な一日であるかといふ気懸りな一事を考へて、よほど狼狽しなければならなかつた。つまり、ひどく担ぎやの寒川家の頑固ぢぢいを思ひ泛べてゴツンと息をのんだのである。
「お峯や……」と、そこで彼は長いこと思案してから急に斯う弱々しい声で女房に呼びかけたが、彼の顔色や肩のぐあいや変なふうにびくついてゐる唇をみると、彼もよほどの決意を堅めたといふことが分るのである。「お前はこういふことに大変くわしいと思ふのだが、あのねえ、お峯や、高貴な方には一日ばかり発喪をおくらすといふことも間々あるやうに言はれとるが……」
ところが、めざとい女房は夫の魂胆をひどく悪く観察してしまつた。とはいふものの、勿論それは半分図星であつたには違ひない。寒原半左右衛門はだらしのない呑み助であつた。ことに他家《よそ》の振舞酒をのむことが趣味にかなつてゐた。おまけに、凡そ能のない此の男だが金輪際たつた一つの得意があつて、村の衆に怪しげな手踊を披露する此の重大な一事にほかならなかつたのだ。全身にまばゆい喝采を浴びたこの幸福な瞬間がなかつたとしたら、彼はとうの昔に首でもくくつて――いや、これは失礼。極めて小数の人達しか知らない悪い言葉を私はうつかり用ゐたのである。
「おや、この人は変なことをお言ひだよ」と、そこでお峯は怖い顔で半左右衛門を睨みつけた。「胸に手を当ててごらん
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