だしく群衆を物色しはじめた。そして三河屋の次郎助を見つけると断末魔の声で、
「次郎助や、一番安いのを一升だけ……」
 だが、大変耳の悪い群衆は、次郎助へ斯う親切にとりついでやつた。
「いい酒を一樽だとよ!」
 諸君、誠実な煩悶にはきつといい報《むくい》があるものだ。斯うして、誠実な村人は一日に二度の大酒盛にありつくことができたのである。が、寒原半左右衛門といへども決して大損はしなかつた。その夜のまばゆい宴席で、彼は得意の手踊を披露することができた。昼の鬱憤を晴らして、類ひのない幸福に浸ることができたのである。

 東京で蒼白い神経の枯木と化してゐた私はゆくりなく此の出来事をきいて、思はず卒倒してしまふほど感激した。全く、こんな豊かな感激と緑なす生命に溢れた物語を私は知らない。私はこの話をききながら、私の心に爽やかな窓が展くのを知つた。そして私は其の窓を通つて、蒼空のやうな夢のさなかへ彷徨ふてゆく私の心を眺めた。生きるといふことは、そして、大変な心痛のなかに生き通すといふことは、こんなふうに、楽しいことなのだ! そして、ハアリキンの服のやうに限りない色彩に掩はれてゐるものである。私は生き方を変えなければならない。そこで私は私の憂鬱を捨てきつてしまふために、道々興奮に呻きながら旅に出た。リュックサックにコニャックをつめて。そして山奥の平和な村へ。
 だが私は、目的の段々畑で、案山子《かかし》のやうに退屈した農夫たちを見ただけだつた。私達の見飽いた人間、あの怖ろしい悲劇役者がゐたのである。村全体がおさまりのない欠伸《あくび》の形に拡がつてゐた。
 そこで諸君は考へる。それが本当の人生だ。あの物語はあり得ない、あれは嘘にちがひないと。断じて! 断々乎として! あれは確かに本当の出来事だ! 私達の慎しみ深い心の袋、つまりは、罪障深い良心と呼ばれるものに訊き合はしても、――いや、これは失礼! 私自身の悪徳を神聖な諸兄に強ひたことは大変私の間違ひであつたが。で、とにかく、私は異常に落胆して私の古巣へ帰つたのだが。それ以来といふものは、あれとこれと、どちらが本当の人生であるかといふに、頭の悪い私には未だにとんと見当がつかないでゐる。ああ。



底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
   1999(平成11)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「三田文学 第六巻第一〇号」三田文
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