くり、ドストエフスキーは読者の要求にひきずられてスタヴロオギンの性格まで変えていった。
また、インスピレーションの多くは模倣から出発して独自な創作が行われるもので、純粋な作家は俗悪な取引に応じて、それを逆に独自な活動、自我の発見と化す天来の才能をめぐまれている。
実際、自由というものははなはだしく重荷なもので、お前の勝手に傑作を書けと言われると却って困るものであり、これこれの条件で、こんな作品を書いてみないかと言われると、それをキッカケにして自らも測らざる活動が行われ易いものなのである。だから外部から俗悪な誘惑の多い流行作家というものは、むしろ傑作を書き易い条件のもとにおかれているもので、私に「マシな作品」が書けなかったという外部条件はそんなことではない。
人間は気持が落ち目になるとダメなものだ。勝負は水ものといい負け癖がつくと天下の横綱もだらしなく負け、もっと理知的な、存分に思考の時間を費している碁や将棋でも、存分に考えたあげくあべこべに大悪手をやらかすようなこととなる。これを外部条件というのである。
ドストエフスキーは二十五歳で「貧しき人々」という傑作を書いて一躍認められた
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