つたわ。冷めたくなつてると思ふと、そんなことも悲しいことのやうに思へるわ……」
 まさ子のこんな感慨に向つて、草吉の答へる言葉は全くなかつた。ただ一言、
「死んでしまつたものなら、仕方がないでせう」
 と、何かのきつかけに答へたのが、実感をもつて語り得た唯一の言葉であつたのだ。
 他人の死滅――このあまりにもかけ離れた、信じられない不可能な事実が、彼の心に異様に遠い虚しさや物憂さ、所在のなさを深めてゆくばかりであつた。同時に、その虚しさの深まりゆく一方から、狂暴な肉慾が蠢めいてくるのだ。溢れるばかりの強烈な色彩を豊富に盛りあげた淫猥な想念が、閃くやうに燃えあがつてくるのであつた。その時また一方には、暗い沖のうねりのやうな荒涼とした哀愁も間断なく流れ、それらのものが一つの塊まりとなつてもつれる時には、息苦しい虚しさとなり、一瞬喪失をよびおこすほどの大きな落胆となつたりした。
 草吉は湯槽へ逃げて、無心の時間を探さうとしてみた。ところが、まさ子の見えない場所へひそんでみても、燃えあがる想念から逃れることはできなかつた。
 一風呂浴びて部屋へ戻ると、ある種の甚だぎこちない放心状態をもつて唐突
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