よ!」
然し襖の向ふから返事の響きおこる気配はなかつた。当太郎はなほも叫ばうとする身構えをもつて、暫く棒のやうに直立してゐたが、やがてバラ/\毀れるやうに姿勢をくづした。それをきつかけに二人の男はどや/\ともつれた跫音《あしおと》を鳴らしながら階段を降りた。さうして無言で外へでた。
草吉の住居へ辿りつくまで、二人は全く無言であつた。すでに十一時も近かつた。
疲れきつた当太郎も部屋の光の中へはいると急に生き生きとした色を浮べた。さうして屈託のない少年のやうな饒舌になつた。
「この部屋が好きなのだ」と彼は愉しげな微笑を浮べながら、人々を見廻して言つた。
「旅さきでもこの部屋を思ひだすときが愉しい時間の一つだつたよ。昨日も今日もこの部屋を考へるときが休息の時間なのだ。今夜呼びだしに来てくれないと、やりきれない夜になるところだつたよ」
「冗談ぢやないわよ!」と忍は癇癪の色をあり/\と現はして真剣に叫んだ。
「この部屋で首でもくくられたら、こつちがやりきれやしないよ! うちぢや暫く藪さんを泊めませんからね! 真夜中でも嵐の晩でも帰しちやうよ」
「そんなに度々やれるもんぢやないよ。もう死ねな
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