と矢庭《やにわ》に牙をむいたやうな顔をして怒つたりするけれども、あれは心ある人間の為すべき顔付ではない。往来の犬や猫がああいふ場合にああいふ顔付をするのである。猛獣性と知的な鋭さは全くその性質を異にするものなのである。
 すべて体位向上などいふことも早起してラヂオ体操をせよとか日曜には喫茶店へ行かずハイキングをせよとか号令しても、なんにもならないものである。心に油断がなくなり、油断のならない心をもち、ヤと叫べばマと応じる神速機敏、微塵も隙といふもののない緊張を常々身心に秘めてゐれば、動作は自ら静を生じ、静かなること林の如く、自然礼節を生じて茶道小笠原流などの奥妙にも達し、しかも全身電波の如く気魄波打つ鋭利の人材となるのである。かくて自ら贅肉をそぎ、関節の動きは敏活柔軟となつて、体位自然に向上する。
 即ち神奈川県に一足這入れば、満員の電車といへども人々は整然と立並び、電車の震動と共に規則正しく揺れ、立並ぶ林の如くであるけれども、ひとたび彼等の眼付を見れば四方八方油断も隙もないことが分る。静寂である。無心の如くである。けれども現に彼等を乗せて走りつつある電車よりも複雑なる機構に充ち且又遥
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