さし入れて、エイ、ヤア、ヤア、と目よりも高く差し上げ、ドスンと下へ投げ落した。これを見て驚いたのは義澄の家来の者。
「片貝の姿が見えないからたぶん駈落ちではなかろう。どうも、失礼いたした」
と、こそこそ退散してしまった。十郎は気色を変えて五郎を叱りつけ、
「仇討までは大事な命、つまらぬことで事を起すのは慎むように心がけるがよい」
五郎のおかげで事が起らなかったのに、アベコベに五郎が怒られて仕方なしに頭をかいている。
ところが間の悪い時には仕方がないもので、夜が明けはなれ二人が葉山のあたりまでくると、鎌倉から戻ってくる平六に会った。
平六の女房がしきりに十郎を口説いているのに気がついた留守を預る家来の者が、主家の一大事とばかり鎌倉の平六に注進した。そこで平六は頼朝からヒマをもらって今しも急いで戻るところだ。道に兄弟の姿を認めたから馬を寄せて、
「十郎どのだな。その大男は誰だ」
「弟の五郎です」
「貴公、拙者の女房と怪しい関係があるということを教えてきたものがあるが、まことに卑怯ではないか。尋常に勝負しよう」
「拙者はある事情によって命が大事でござるから、お怒りの段恐縮ですが、平に御容赦ありたい」
「なんの事情か知らないが、こッちの事情の方がお前の事情よりも一大事だ。女房と怪しい関係のある奴を見逃しておけるものか」
「いずれ後日とくとお話し致したい。本日は何とぞ見逃していただきたく、かように頭を下げてお願い致す」
またはじまったな、と五郎は背中から大きな弓矢をとり下した。大変に大きな弓だ。普通の倍もあろうという握り太の重籐《しげどう》の弓、一尺ぢかい鋭い矢の板をつけた長大の矢。はるか頭上にトビが二羽ピーヒョロヒョロとまっている。矢をつがえて満々とひきしぼって放す。つづいて二の矢。弓矢のとどく筈のないはるか天空のトビである。しかるにこれが二羽ながら吸われるように落ちてくる。五郎は二人をとりまいている平六の家来の者に、
「トビを拾ってきてくれないかね。昨夜《ゆうべ》から食事しないので、腹がへった」
一人の家来が持ってきたトビの一羽を平六が手にとって改めると、ド真ン中を突きぬけて、矢の羽が半分ちかくも肉の中にくいこんでいる。恐るべき強弓。家来の顔を見渡すと、みなみな口を半開きにして魂をぬかれたような顔をしている。そうだろう。五郎は一羽のトビのクビをぬいて血をすすっているのである。
「空腹の御様子。食事の邪魔も礼なき業であるから、本日はお別れ致そう。後日の挨拶をお待ち致しておるぞ」
と平六は胸をはり刀にソリをうたせて、馬上ユラユラ立ち去った。十郎は五郎の手の中からトビを奪って地上に叩きつけて、
「仇討までは大切な命。つまらぬ事を起してはならぬと云うのに」
「分った。よく、分ったよ。しかし、こまったね。居候の当がなくなったね。平六の女房も三浦の叔母もずいぶんうまい物をタラフク食べさせてくれたが、目にチラついてこまる」
十郎の目にチラつくのは女の顔、五郎の目にチラつくのは山盛のゴチソーだ。
「大磯に当があるから、心配するな」
「うまいゴチソーがあるかね」
「大丈夫だ。料理屋だから」
「それは心強いな。しかし、兄貴は意外なところに味方があるんだね」
「そこの一人娘がオレの恋人だ」
「またか」
五郎はガッカリした。
五郎はゴロツキ兄は女に精だすこと
大磯は当時このあたりで最も繁華な遊び場であった。大昔からの遊び場だ。
遠い昔、西を追われたらしい高麗《こま》の豪族の一族郎党大人数が、舟で逃げてきて、ここに上陸した。今でもここに高麗神社があり、彼らにとってはここは記念すべき上陸の聖地だった。そして多くの者はそれぞれ奥地へ住み移って土着したのであるが、かの有名な武蔵秩父の高麗村の高麗家の記録にも彼らの祖先が大磯に上陸したということが語られているのである。
大多数は奥地へ散ったが、少数はこの地にとどまり、街道筋の旅人に商いをやり、今日の駅前マーケットのようなものを組織していたのだ。
ところが源氏の天下になり、鎌倉に幕府ができて、京と鎌倉のレンラクで東海道が日本一の幹線道路になったから、大磯マーケットはみるみるふくらんで、鎌倉近辺で第一番の遊び場になったのである。
このマーケット代々の親分、大磯の長者、目下の長者は女将であるが、その一人娘を虎という。絶世の美人だ。
大昔から街道筋のマーケットの長者は、いわば旅人の旅館も兼ね、料理屋女郎屋も兼ね、今の特飲店のようなもの。そこの娘も白拍子にでて上客に身をまかせるのは古来からの習いで、大磯の長者もその娘ざかりのころ伏見の大納言を客にとって生んだ子が虎なのである。
一粒種の虎は非常に大事に育てられ、一通りの学問も和歌も、琴笛その他の楽器も遊芸全てにわたって身につけ秀でて
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