いたが、特に舞いがすばらしい。しかも絶世の美女であり、世にこれほど妙なる女があろうかと鎌倉の武士連中、つまり当時の独裁政府の御歴々に大評判の麗人であった。しかし、いかほど教養が高く、何不自由なく育ったといっても、その教養も不足のなさもまた白拍子の定めゆえで、一生の宿命はどうすることもできない。呼ばれれば客の席へも出なければならず、特別の上客にはその枕席にも侍らなければならない。
虎にとってはまことに悲しい生活で、なんとも汚らわしく腹立たしい日々に、たまたま曾我十郎という恋人を得て、人生の希望を知ることができるようになった。とかく女に無責任な十郎だったが、この虎にはゾッコン参ったのである。たがいに堅く二世《にせ》を誓い合って、放しませぬ離れませぬと熱々の間柄である。
「この虎という女だけはオレが心から愛しているのだから、お前も今度は夜逃げをしなくとも大丈夫だ」
「そうかも知れないね。いつも女が後になってオレに知れるが、今度は先に知れたからね」
「客席にでるのが辛いから早く結婚してくれと実は目下せがまれてな」
「もう分ったよ」
「どうもお前は木石でいかんな」
大磯の宿へはいってくると、十郎を認めて駈け寄ってきた一人の白拍子、まだ化粧もしていない黒い顔を押しつけるようにして、
「どうしたのよ、十郎さん。ちッとも姿を見せないで。お嬢さんがヒステリーで大変ですよ。実はね、今もお嬢さんが悪侍と大ゲンカしてるんですよ」
「侍とケンカ?」
「ええ、そうなんです。身分の低い侍ですが大そう腕ッ節の強い奴らでしてね。その親分格は黒犬の権太という奴ですが、ちかごろこの宿を軒なみに荒してるんです。今日はウチへ来ましてね、無理に上ろうとするところへお嬢さんがヌッと現れたんです。フトコロ手かなんかで悪侍をハッタと睨んでね。ウチへ上ってお酒をのむなら私をスッパリ斬り殺して上っておくれ、私が息をしているうちは一歩だって入れないよ、とあのお嬢さんがタンカをきっちゃったんですよ。それというのも、十郎さんがあんまり姿を見せないから、すっかり気が立ってるんですよ」
「それから、どうした?」
「どうしたも、ありませんよ。お嬢さんが悪侍を八人も相手に、結局どうにもならないのは分りきってるじゃありませんか。私はすぐ裏からとびだして、馬七だの蛸八だの芋十なぞの地廻り連に助勢をたのんだんです。今日はオフクロの命日だなんて、誰一人きてくれやしませんよ。みんな、やられてるんです。地廻りのグレン隊じゃ歯が立たないんですよ。私、どうしようかと思ってね。ほんとに天の助けだわ。十郎さんに急場を救っていただいてお嬢さんの胸のつかえを取り去ってあげさせようという天の配剤、それでたぶん天がお嬢さんにタンカをきらせたんですよ。早く、なんとかしてあげて下さい」
「拙者は事情あって一命を大切にいたさなければならない身、かりそめにも暴漢ごときと事を起すわけにはまいらぬ」
「何が、拙者だ。オタンコナス。二世を誓った愛人が悪漢相手に苦しんでるというのに、事情あって、一命。ヘン。愛より深い事情があるか。唐変木」
「よく口のまわる女だ。しかし、心配なことではあるな」
「当り前じゃないか。やい、男なら、何とかしろ。さもないと、私がタダじゃアおかないよ。女と思って見くびるな。向う脛をかッ払うぞ」
「まて、まて。その方と事を起すのは好まぬ。事情あって、拙者は一命を大切に……」
「オタンコナスめ」
白拍子が打ってかかろうとすると、軽くその肩を押えた五郎。
「ム。痛い。ウーム、この野郎、なんてい馬鹿力だ。よせやい。動けねえや。痛いよ」
「オレは事情あって事を起すのが好きだな。オレをお前のウチへ案内しろ」
「コレ。五郎。一命を大切に……」
「一命を大切にしてるよ。ただ、事を起すだけだよ。早く、案内しろ。悪侍を退散させてから居候になるつもりだから、毎日うまい物を山盛りくわせるのを忘れるな」
「お前さんは誰だい」
「箱根の天狗だ」
「よーし。気に入った。さア、おいで」
「コラ、待て。五郎。一命を」
「大切にするよ」
女と五郎は走りだす。物見高い連中が後を追って走りだす。仕方がないから十郎は半分歩いて半分走って、一命を大切に――呟きながら足をひきずっている。
長者の門前へ来てみると、今しも親分格の奴がズカズカ上って虎を軽々と押えつけているところだ。門をはいった五郎、悪侍によびかけた。
「オーイ。コラ、コラ。蛸の足」
「なんだと」
一同ふりむいてみると、雲つくような大男がニコニコ笑って立ってるから、
「蛸の足とは、なんだ」
「八人だから、蛸の足だ」
「なるほど」
「オレは当家の居候だ。オレに断りなく上ってはこまるな」
「断って上るが、よいか」
「オレはよいが、オレの手に持つものに、きいてみろ」
「手に何も持たんじゃない
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