か」
「いま、もつぞオ」
 肩の弓矢を外して地においた五郎、玄関脇の松の木にムンズと組みついた。
「オ。松の木に相談するのか。面白いな」
「いまにもっと面白くなるから待ってろ。アリャ、リャ、リャ、リャ……」
 ゆさぶるうちに大地がメリメリとさけてきた。
「エイッ。ヤッ」
 と五郎が満身の力をふりしぼって押しつけると、悪侍の頭上へ松の木が倒れてきたから、おどろいた。
 松の葉にさされながら逃げのびて、茫然と仲間の顔を見合っている。
「さ、松の木にきいてみろ。たって上るか、どうだな」
 さすがに親分の権太、何食わぬ顔、五郎に近よりざまに太刀をぬいて斬ってかかる。五郎、体をひらいて、トントンと前へ泳いでくる権太の利き腕をたたく。力を入れて打ったようでもないが、腕が折れてなくなったよう。ポロリと刀を落して、目を白黒。五郎はその片腕と襟首をつかんで、
「そうれ。上りたければ上げてやるぞ」
 ブン廻しのように振り廻して手を放すと、屋根の上へとんで行った。
「どうだ、上り心持《ごこち》は」
 ガラガラドシンと下へ落ち、目をまわして、
「ウーム。酩酊いたした」
 と言えなかったという話。
 七人の悪侍は気絶した親分を抱きかかえて、コソコソと逃げだす。門前の群集、大喜びで、悪侍に石を投げつけている。そこへ十郎が辿りついて、弟を一同にひき合せ、勘当の事情を説明して援助をたのんだ。長者は大そう喜んで、
「居候なんて、とんでもない。大切なお客様ですよ。いえ、お店のお客様よりも大切にいたしますよ。何百年でもいて下さい。ねえ、虎や」
「ええ。その大きい立派なお方は命の恩人。大切にいたしますが、連れの痩せッぽちは、追んだして、塩をまいてちょうだい」
 大そう怒っている。十郎は別室で虎にひらあやまり、勘当の弟を見てやらなければならないので訪ねることのできなかった事情を説明して、
「五郎がここへ居候ときまれば安心だから、五郎を置いてく代りに、お前をつれて曾我へ帰るが、どうだ。まだ母に打ちあけていないからすぐ結婚というわけにはいかないが、しばらく二人だけで楽しく暮そうじゃないか」
「ほんと! 二人だけになれるのね」
「そうだとも」
「うれしい。カンベンしてあげるわ」
 という次第で、十郎は虎をつれて曾我の閑居へ戻った。
 置き残された五郎、待遇がすごく好いから大喜び。食っては立廻りの稽古をし、食っては立廻りの稽古。食うのと、立ち廻りと、寝ることのほかには何も考えない。
 例の道案内の白拍子|念々《ねね》は腹をたてて、
「ねえ、アンタ。ここをどこだと思うんだい。特飲だよ。遊ぶ女がいるんだよ。料理ばかり食ってないで、たまには女にも手をつけなよ」
「女は、うまいか」
「それは、うまいよ」
「サシミにするのか。塩焼きにするのか」
「チェッ。バカだよ、このデブチンは。ほんとに女を食うつもりらしいね」
 念々もサジを投げざるを得ない。
 五郎は大磯ですっかり顔になってしまった。大磯ばかりではなく、五里も十里もはなれた宿の遊び場からも、面倒が起ると、五郎のところへとんできて、
「ねえ、五郎さん。たのみますよ。また悪侍の一味の奴が上りこんで」
「オレは事情があって一命が」
「よしてくれよ。こッちは真剣なんだから」
「イノシシを食わせるか」
「ああ、いいとも。二匹でも三匹でもゴチソーするよ。ついでに庭の松の木の場所をかえようと思ってるんだが、ちょッとひッこぬいてくんなよ」
 なぞとしきりにお座敷がかかってくる。三年間こんな生活をしていた。五郎、大多忙、東海道の松の木や大石をどれぐらい引ッこぬいたり、動かしたりしたか分らない。



底本:「坂口安吾全集 14」筑摩書房
   1999(平成11)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「キング 第三〇巻第六号」
   1954(昭和29)年5月1日発行
初出:「キング 第三〇巻第六号」
   1954(昭和29)年5月1日発行
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年3月26日作成
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