てもかまわぬという時に、かえって眠れない。ところが、忙しい時には、ねむい。多分に精神的な問題であろうけれども、どうしてもここ二三日徹夜しなければ雑誌社が困るという最後の瀬戸際へきて、ねむたさが目立って自覚されるのである。アア、こんな時に眠ったらサゾ気持よく眠れるだろうなア、と思う。ついにその場へゴロリところがって、一滴の酒の力もかりずに眠れることがある。
 眠るべからざる時に、眠りをむさぼる。その快楽が近年の私には最も愛すべき友である。眠るべからざる時に限って、実に否応なく、切実のギリギリというような眠りがとれて、眠りの空虚なものがどこにも感じられないのである。天来の妙味という感じである。子供のころ、試験勉強などの最中にも、同じような眠りはあった。しかし子供のころは、そんな眠りの快楽よりも、ほかの生き生きとした遊びの快楽の方がより親しくて、眠りなどにはなじめない。それが当然なのかも知れない。こんな眠りが何より親しい友だというのは賀すべきことではないようだ。そのバカらしさを痛感することもあるのだ。
 酒池肉林というような生活に堪えられる人はいないであろう。ネロが時に詩人によって愛されるの
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