は白なりにスマートな装飾をつけて、先ず外見からプロらしくダンディぶることが大切であろう。目下のところ、技術がまだ大いに至らぬのであるから、白いユニホームで現れると、いかにも場末のアンチャン野球という泥くさゝが鼻について、いけない。
その次に、この辺は神経衰弱の致すところかも知れないけれども、各選手がグローブを一塁又は三塁のコーチャーボックスのあたりへ投げすてゝベンチへ戻ってくる。あそこからベンチまでいくらの距離でもないのに、なんだって、ゴミタメみたいに、あそこへ投げだしてくるのだか、腑に落ちない。たまたま一塁か三塁よりへファウルフライがあがって、スパイクがグローブにひっかゝってエラーしたら、どういうことになるのだろうと気にかかって見ていると頭痛の種になるのである。
夕方の四時頃になると、太陽が三塁から左翼を低く直射するようになる。すると、三塁と左翼がポロポロと失策をやりだす。一九四八年はアロハシャツと色メガネの大流行時代であったが、アロハユニホームはよろしくないが、色メガネは用いた方がよろしいだろう。あの時間の太陽の直射が分りきっているのに何らの用意もなく、ポロポロと凡フライを落っことすのは、野球でオマンマを食う人間の心掛けではないようである。
近頃は審判に食ってかゝるのが流行しているようであるが、これは悪流行ではなく、審判がヘタなせいだと思われることの方が多い。川上が、高いタマにストライクを宣告されて、審判に向って手を振った。手を振ったゞけで抗議はしなかったが、ハッキリした誤審に対して抗議を申入れるのは当然で、しない方が僕には変だ。プロともなれば、試合に生命がこもるべき筋合のものであるから、審判は神聖などゝいうバカな神ガカリは有り得ない。誤審に抗議を申し入れる風習は、そこに正当な理由がある限り、却って試合をエキサイトさせ、プロの魅力となるだろうと僕は思う。
次に、タマ貰い(たしかにタマ貰いだろうと思うが)の子供が、どうもプロ野球の気分とつり合わない。見物人にしたゝかファウルを叩きつけておいて、その方には頓着なく、たゞボールの返還のみを、これ当然として、要求する。犬ならチンチン、オアズケなどするのであるが、このタマ貰い小僧どもはミジンもユーモアなく稚風なく、ただタマを返送すべきことを頑《かたくな》に要求する態である。あれを見るたびに僕は痛く腹を立て、ファウル
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