腹の底ではひそかにこういう怖れをいだいていた。
さて、温泉駅へ下車すると、意外にも駅には阿二羅教のハッピをきた人々が客引きのようなことをやっている。その総大将らしい気品のある人物を見ると、なんと安福軒である。宗匠然たる風采が一段と落着きを増し、底光りを放つように見うけられたほどである。大巻先生は安福軒の背中をたたいた。
「オッ。これは珍しい。今お着きですか」
「ちょッと川野君に対面に来たのだが、君は阿二羅教の客引きの大将かい?」
「今日は教会に行事があって追々信者が集ってくるのですよ。なにもボクが信者の世話をやかなくともいいのですから、川野先生のお宅でしたらボクも一しょに参りましょう」
肩を並べて歩きだすと、意外にも安福軒はガラリと人柄が変って、
「まったくイヤになりますよ。むかしの二号を神サマと崇めまつって、話しかけることも許されないのですからな」
「イヤなら止すがよかろう」
「それじゃ一文にもなりませんよ。こうして食いついてれば、幹部ですからかなりのミイリがあるでしょう。万国料理の方だって、教会へだす弁当の方がいい商売になるんですから、我慢第一ですよ。ちょッと、このところ、教会の方へ足を向けて寝られませんよ」
「それじゃア結構じゃないか」
「ま、一応は結構ですな。しかし、日野クンは怖るべき商才の持主ですよ。あのキチガイ女がですな、彼の意のままに動くんですね。しかもです、神サマとして動くんですな。折あらばこの秘伝を会得したいと思っていますが、これは、あなた、天才でなくちゃアできませんや」
「君だって彼女を意のままに動かしてインバイをやらせていたじゃないか」
「あれは凡夫凡婦の遣り口ですよ。彼は彼女に神サマをやらせることができるのです。その神サマを動かして難病を治すこともできます。まったくですよ。カンタンに治っちまうのが、相当数いるんですな。川野先生も、それで一コロですよ」
「川野君の病気を治したのかい?」
「いえ、あの先生の長女の寝小便を治しまして、それから次女のテンカンを治しまして、それからこッち先生自身も阿二羅大夫人を持薬に用いているようですよ。まったく人間はバカ揃いですよ。あなたがメンドーがらずに彼女を精神病院へブチこんどいてくれれば、バカの数がいくらか減ってる筈なんですがね」
安福軒はイマイマしげに呟いた。むかしは悪事を働きながらもケツをまくった風情があってシンから落着き払った様子であったが、神サマのお供にウキミをやつして悪事と縁が切れたせいか、むしろイライラと落着きがない。してみると、神サマにはよほどの威力があるもののように考えられた。
掌の放射熱
「君が安福軒のインバイ宿へ泊ったのが阿二羅教発祥の縁起だそうじゃないか。昭和宗教史に特筆すべき一大情事だね」
と川野水太郎はイヤなことを云って大巻先生をひやかした。そこで大巻先生はいささか気を悪くして、
「君は教祖を信心してるのかい。それとも軽蔑してるのかい」
「むろん信心してるのさ。あの夫人にはたしかに妙な霊力があるし、それに管長が弱年に似ず商売熱心なんだね。教祖が直々患者を診察するのは一度だけで、あとは管長その他が代診するらしいが、ボクの娘の場合で云うと、治るまで管長が毎日欠かさず水ゴリとりにきてくれたぜ。冬のさなかにハダカでバケツの水を何バイも何バイも浴びるのさ。そんなこと、安福軒にはできやしないよ。コイツ怠け者で女にインバイさせてケチな稼ぎをやらせることしか能がないから、女に逃げられて、カンジンな大モウケをフイにするのさ。近ごろ毎日メソメソ泣き言ばかり並べてやがる」
「なに云ってますか。水ゴリまでとってアクセクかせぐことはないですよ。教祖管長その他に奮闘努力してもらって、ちょッと手を合せて拝むだけで然るべきアブク銭にありつくことができる商売は悪くないですよ」
「君も教祖を持薬に用いているそうだが」
大巻先生がこう川野にきくと、川野はもっともらしくうなずいて、
「頭痛、肩の凝り、フツカヨイなぞによく利くよ。教祖の指圧がよく利くのだが、出張してもらうわけにいかないから、弟子に来てもんでもらうが、アンマにくらべるとたしかによい。アズキを袋につめたものでゴシゴシやったり、一時に三人がかりでもんでみたり、頭や背中をゴムの棒で叩いたり、いろいろと工夫している。これは弟子のやり方だね。教祖はそんなことはしない。掌の霊力の放射で治す。手をジッとかざすと、そこが焼けるように熱くなるね。その手が背中に吸いついて放れないこともある。手が放れた時にはスーと軽くなるのだよ。イヤ、本当です。ボクは阿二羅教の宣伝なぞする必要はないから、自分の経験を云ってるだけだ。たしかに利きますよ。君もなんならやってもらいたまえ」
安福軒が傍でニヤリと笑い、
「熱くなるって、どんな
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