新人へ
坂口安吾
如何に生くべきか、ということは文学者の問題じゃなくて、人間全体の問題なのである。人間の生き方が当然そうでなければならないから、文学者も亦そうであるだけの話である。
如何に生くべきか、が人間のあたりまえの問題でなくて、特に文学だけの問題のように考えられているところに、日本文学の思想の贋物性、出来損いの専門性、一人ガテンの独尊、文学神聖主義があるのだろう。
罪の自覚、そして孤独の発見は文学のふるさとだけれども、それは又、人間全体の生き方の母胎でもあって、およそ、文学固有の生き方、態度、思想、そういう特別なものは有り得ない。文学は人間のものであるだけだ。
私は、新しく文学をやる若い人には、文学者であるよりも人間であることの発見、最もつゝましやかな人間の自覚を知ることが第一だと思う。
人間の発見と書きたい意慾があればおのずから小説は成り立つもの、小説の書き方よりも、人間の見つけ方、見方の方が小説の形式をも決定してくれるものであるから、そしてそういう人間の発見の上に文学の独創性もあるのだから、文学者はいつも人間であることが先決条件の筈である。
だから、文学の専門家
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