になろうとせずに人間の専門家、つまり自ら生くるための真実の努力が第一で、文学的サークルなどは二の次に、各々他に職業をもち、なるべく文学の専門家にはならない方がいゝ。
アインシュタインがうまいことを言っている。物理学者になるには、学校を卒業したら靴ミガキになりたまえ。
物理学というものは芸術同様まったく独創性を必要とするものだそうで、だから、専門家のサークルに住むと、垣根の中の考え方からぬけだせず、独創的な着想や構想ができなくなってしまう。だから、靴ミガキになれ、全然物理学に関係のない仕事にたずさわる方がユニックな発見ができる、という意味なのである。
文学もその通りである。文章上の専門性というものは趣味的でたくさん、要は人間の発見、人間の問題の発見だ。
文章の専門性などはタワイもないもので、そんなものは悠々趣味で片づけるだけの逞しさがなければ大文学は生れない。
会社員、労働者、何商売でもいゝ。商売の片手間に、悠々と、人間喜劇を書きあげてノッソリ登場してくれるような新人が、日本の文壇を大人の文壇に、だんだん変化させてくれるであろう。今の文壇は出来損いの名人カタギの専門家とその取り
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