が全然ムダ、ツマラヌものに思はれてたまらない。そんなものが分らなくとも文化の進歩にさしつかへがないばかりか、却つて大いに進歩に役立つ、ともかく時間の節約にはなる筈なのだ。
「ず」と「づ」だの、「お」と「を」だの、「ぢ」と「じ」だのと、これらの同音の文字は早急に一字にする必要はないと思ふ。同じ字が二つあつたつて、それを覚えるのに困りやしないぢやないか。たつた三字や四字のカナが多くならうと少くならうと、たゞそれだけの問題にすぎない。漢字を五字覚えるよりも、いと楽に覚えられ、そしてこれらの用法は我々の慣用の文章に我々を悩ますものではなく、ただ名詞や形容詞のふだん漢字で書いてゐるのにルビをふるやうな場合にだけ困却するだけの話、「ヲンナ」か「オンナ」か、こんな区別はどうだつていゝ。頭の方は「オ」、語尾の方のは「ヲ」と片づけてもよからう。
 早急に何から何まで変へない方がいゝ。変へたゝめに、すぐさま便利といふものだけを変へる。つまり変へる目的は常に「たゞちに簡単になる、良くなる」といふ主意によるものでなければならず、当分不便であらうけれどもといふのはよろしくない。
 つまり、我々はなぜ変へなければ
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