心霊殺人事件
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)仰有《おっしゃ》る
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)らしく[#「らしく」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)クシャ/\
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伊勢崎九太夫はある日二人の麗人から奇妙な依頼をうけた。心霊術の実験に立ち会ってインチキを見破ってくれというのだ。九太夫はいまは旅館の主人だが、もとは奇術師で名の知れた名手であった。奇術師の目から見れば心霊術なぞは幼稚きわまる手品で、暗闇でやるから素人をだましうる程度のタネと仕掛だらけの詐術にすぎないのである。熱海の旅館なぞでもこの心霊術師をよんで実験会をやるのが一時流行したこともあったので、九太夫はその向うをはって「タネも仕掛もある心霊術実験会」と称し、奇術師の立場から術を用いて心霊現象の数々を巧みに実演してみせた。白昼大観衆の眼前で術を行う奇術師から見れば暗闇で怪奇現象を見せるぐらいお茶のこサイサイというものだ。こういう経歴があるから心霊術の詐術を見破ってくれという依頼がきてもフシギはないが、しかし、こういうことを個人的に依頼するその必要が奇妙というものだ。
「御家族に心霊術にお凝りの方でもいらしてお困りというわけですか」
「ま、そうです。父が戦死した息子――私たちの兄さんですが、その霊に会いたいと申しまして、心霊術の結果によってはビルマへ行きかねないのです」
「ビルマで戦死なさったのですね」
「いいえ、戦死せずに生き残ったと父は信じているのです。なぜなら一ヶ月ほど前に兄の幽霊が現れてビルマで土人の女と結婚して子供が二人あるからよろしくたのむと父に申したそうです。マラリヤでこんなに痩せたなぞ申しました由で、たぶん幽霊が現れたとき死んだに相違ないから、孫をひきとりにビルマへ行きたい、それについては兄の霊をよんで土地の名や女の名を知りたいと申すのです」
「そうでしたか。しかし、心霊術はともかくとして、死ぬまぎわに霊魂の作用がはたらく例は往々実際にあるようですね。ですからお兄さんが一ヶ月前まで生きてビルマに土着しておられたのは本当かも知れませんよ」
「そうかも知れません。ですが、いまわのまぎわに知らせにでるぐらいなら、この九年間に手紙の一本ぐらいくれそうなものです。たぶん父の夢ではないかと思うのですが」
「なるほど。あるいは気のせいかも知れませんな。しかし、そういう理由からでしたら、息子の霊に会いたい、土地の名や女の名を知りたい、孫をひきとりたい、このお志はお気の毒じゃアありませんか。お父さまの気のすむように、そッとしておいておあげになっては」
すると姉らしい方がクスリと笑って、
「世間の人情はそんなものかも知れませんが、私たちの一族ではバカらしいだけなんです。子供たちを生みッ放しでろくにわが子らしいイタワリも見せてくれたことのない父が、ビルマのアイノコの孫に限ってひきとりたいなぞというのが滑稽なんです。イヤガラセなんでしょう。本心なら狂気の沙汰です。それともビルマのアイノコならライオンか山猫なみに育てるにもお金がかからず、気の向くままに放りだすこともできるからとでも考えているのでしょうか。ともかく私たちにとっては不愉快な出来事なんです」
「失礼ですが、お父様と仰有《おっしゃ》る方は?」
「高利貸の後閑仙七です。血も涙もないので名高い父ですが、わが子に対してもそうなんですよ」
「すると千石旅館の番頭の一寸法師の辰さんはあなた方の弟さんですか」
「いいえ、兄さんなんです。あれが次兄で、戦死したのが長男なんです。私たち二人は嫁いでますから働く必要もないのですが、一寸法師の兄はあのように旅館の客ひき番頭ですし、末の妹はファッションモデルをやっております」
姉が苦笑して語っているあいだ、妹はおもしろそうに微笑しているのである。
後閑仙七の名をきいて、なるほど、それなら話がわかると九太夫は思った。しかし、奇妙な兄妹たちだなと内心におどろいたのである。何より変ってるのは四人の兄妹の顔立が全然ちがっていることだ。姉の勝美は瓜実顔《うりざねがお》の美人であるが、次女のミドリは丸顔の美人で、目にも鼻にも共通点がない。勝美はオチョボ口でうけ唇だが、ミドリは大口で時々カラカラ笑っている。末のファッションモデルの糸子は先年熱海でミス何々の選があったとき九太夫も見物にでかけて知ってるのだが、これはまたチンのようなクシャ/\した顔で、しかし、妙に色ッぽくて愛くるしい娘なのである。ミス何々の三等ぐらいだったようだ。一寸法師の辰男は西郷隆盛がシカメッツラしているような大きな顔で、首から足までは顔の倍ぐらいしかない。お客のトランクを地面すれすれにブラ下げて歩いてるが、バカ力があるらしく両手に大トランクをいくつもブラ下げて疲れた顔もせずに歩いているのである。
だいたい他人に対して血も涙もない人間というものは親子の情に限ってすこぶるこまやかなのが一般の例だ。自分の血のツナガリだけが自分の城、安住の地というわけかも知れない。ところが後閑仙七は例外で、巨億の富を握りながら一寸法師の倅《せがれ》に宿屋の客ひき番頭をさせているのだ。
次女のミドリは岸井という旅館の倅にお嫁入りしているが、先年の熱海の大火で類焼した。そのとき復興の資金を借りにミドリの舅が泣きついたとき、金貸しが商売だからお貸しはするが新築の建物をタンポに利息はこれこれと営業通りの高利を要求して一分一厘もまける様子がないのでケンカ別れとなった始末だ。勝美もミドリも類の少い美人であるから婚家に当り前に暮していられるが、さもなければ肩身がせまくて婚家に居づらいに相違ない。親類のツキアイなぞというものを仙七は生来知らない様子であった。冷血ぶりもここまでくればと仙七の人物を大いに認める者もあるほどだった。
この仙七が人々に評判をたしかめた上、日本一と名の高い吉田八十松という術師を大和の国からよぶことになった。心霊術には大道具が必要であるから、それをはるばる大和から運ばせて、滞在費謝礼等二万ナニガシの金がかかる。高利がついて戻る金でなければビタ一文出したことのない仙七がビルマからアイノコの孫をよぶため息子の霊をよぶためと称して二万ナニガシのムダをする。場合によってはビルマへ行って孫をひきとってくる。産院で孫のお産をさせるよりも何百何千倍のムダであるが、そのムダをも辞せぬコンタンはそも何事であるか。息子の一寸法師や三人の娘が他人以上にこれをいぶかったのは無理がない。子供たちにビタ一文やらぬためのコンタンではないかなぞと疑りたくなるのも当然だった。
「父からビタ一文だって当てにしている私たちじゃないんですけど、そのコンタンがシャクなんですよ。イヤガラセに心霊術のカラクリをあばいて鼻をあかしてやりたいのです。むろん父が兄の霊に会うという日は父ひとりで私たちが会うことはできないのですが、それだけでは私たち四人の兄妹が納得できませんと申しましてね。他に一日私たち兄妹主催の実験会を開いて父にも出席してもらうことを許可してもらったのです。むろんそのための費用やら余分の滞在費は当方持ちにきまってますが、心霊術師の旅費と大道具の運賃まで半分当方持ちという高利の条件でしてね。父との商談ですからそれぐらいは覚悟の上で、父の鼻をあかしてやるためならそれぐらいの金はだしてあげようと私や妹の主人たちも大へん乗気なのです。先生への謝礼も充分に致すつもりですから、ぜひぜひ出席願って心霊術のカラクリをあばいていただきたいのです」
「左様ですか。それでお話は判りました。私も心霊術の実験にはだいぶひやかしがてらでかけまして、あの奇術師の奴が来てるんじゃア今日の実験は中止だなぞときらわれるようになったものですが、大和の吉田八十松には幸いまだ顔を見知られておりません。日本一かどうかは存じませんが大そう評判の術師ですね。よろしゅうございます。お言葉のように私が出むきましてカラクリをあばき、また直後に私が同じことをしてお目にかけますが、さとられると吉田八十松が実演を致しませんから奇術師の伊勢崎九太夫が来てるなぞということは気配にもおだしにならぬように。心霊術に凝ってる誰それというように、よいカゲンに仰有っておいて下さいまし」
こうして九太夫も当日出席することに話がきまったのである。九太夫にしてみれば心霊術のカラクリを見破ることにはもう興が失せかけていたのであるが、ほかならぬ後閑仙七一族の血と金にからんだ一幕であってみれば改めて興はシンシンだ。眼前の姉妹にしても天性の美貌となにがしの気品、虫も殺さぬような優雅な風であるけれども、その性根の程はどんなものだか。勝美の言葉は落ちつきがあって物静かではあるが、語られている内容は甚だ異常で非人情なものではないか。その心を人の形に現せば一寸法師の客ひき番頭のような姿に化するのかも知れない。
「失礼ですが、皆さんは一ツ腹の御兄妹でいらッしゃいますか」
「一ツ腹に見えないのですか」
「四人の方々それぞれお顔に似たところがございませんのでね」
「よくよく似てないらしいですね。皆さんがそのように仰有るのですよ。ですが一ツ腹の兄妹なんです。似てないのは顔だけじゃありません。心も性格も全然別々なんですよ。至って仲も良くないのです。四人に一ツ共通なのは父を憎んでいることだけです」
姉がまだ言い終らぬうちから、妹はカラカラと小気味よげに笑いつづけた。九太夫も小さい時からの奇術師商売、日本はおろか海の外まで廻り歩いて、ちょッとのことでは物おじしないタチであったが、この姉妹には少々ビックリさせられた。心霊術のカラクリ同様、人間の心のカラクリも概ねタカの知れたものであるが、後閑仙七一族の心ばかりは人間なみでは計りきれないような感じをうけた。心霊術の実演よりも後閑一族の心のモツレを目にする方がどれぐらいまたとない観物《みもの》だか知れない。多年きたえた奇術師の眼力でとくと観察してみようと思ったのである。
★
後閑仙七が息子の霊をよんでビルマの孫をつれてくるなぞというのは、どう考えても額面通りには受けとれない。そもそも仙七は長男を特別扱いしていなかった。一寸法師や娘たち同様ヤッカイ者扱いで、それでも大学へは入れてやった。すると召集をうけたから、名誉なことである、わが家の誇りでもある、大いにお国のために働いて下さいと大そう感動ゲキレイしたのはヤッカイ者が一人へって大助かりだという気持からの国家への感謝感激のアラワレであったろうと人々は推察した。他に特別の愛情を示した例はなかったのである。
そういう次第であるから、そもそも息子の幽霊が仙七に一目会いに現れたなぞというのが大いにマユツバ物で、もしも生き残ってビルマに土着したのが事実とすれば、日本へ帰って仙七の顔を見るのがやりきれないせいだろう。仙七の妻女は二年前に死んだが、そういう時世ではないからと云って葬式もだしてやらなかった。もっとも、勝美、ミドリ、糸子の姉妹三人はそれには至極賛成で、愛情のない葬式なんかださない方がよい、お体裁にナムアミダブツなぞ唱えるのは却って不潔でいやらしいという説であったが、一寸法師の辰男だけが不満不服をもらしたのは母に愛情が強かったせいであろう。母は一寸法師が宿の客ひきをして大荷物をブラさげてよたよたしているのを気の毒がっていた唯一の家族だったからである。
しかし、とにかく仙七がビルマの孫をひきとると称し、その所在を知るため長男の霊をよぶと称してはるばる大和から吉田八十松という心霊術師をよびよせることになったのは事実であるから、そもそも彼の真のコンタンは何であるか、兄妹そろって先ずもってこう考えたのは当然であろう。
ところが半年ぐらい前から仙七の様子にいささか変なところがあった。時々陰鬱な顔で放心しているようなことがあったのである。陰鬱なのは今にはじまったことではないが、放心を人に見せるような仙七ではなかった。また時々イライラ、
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