セカセカしているようなことがあった。こういう様子も人に見せた仙七ではなかったのである。
 だから仙七の心に何事か変ったものが生じていたに相違ないが、さればとて戦死した長男への愛情ということは考えられない。彼が長男の幽霊を見た、ビルマの孫をひきとりたいと云いだしたのはずッと後のことで、つまり何事か心に変化の生じたあげくに思いついた口実としか考えられないのである。
 しかし、四人の兄妹が一様にこの心霊術の実験に反対のわけではなかった。糸子は反対どころか、むしろ大いに霊のお告げがあることを望んでいて、
「おもしろいじゃないの。お父さんの本当のコンタンは見当がつかないけど、あの冷血ムザンのケチンボーが何百万をもお金使って本当にビルマへ孫を探しに行くとしたら、おもしろいわ。そのときのケチンボーの顔を見てやりたいな。大いにケシかけて否応なくビルマへ行かせてやりたいと思うわ」
 こういう考えであった。父の金など当てにしなくとも高給のとれるファッションモデルのことだし、まだ若いから屈託がないのだ。
 これに反して深刻なのは一寸法師の辰男だ。彼が兄妹の最年長者でもあり唯一の男でもあるから、当然家をつぐのは自分だときめこんでいる。だから宿屋の番頭をしながらも経済界のことには勉強も注意も怠らず、株屋だの銀行員の客とみれば根掘り葉掘り訊きだして経済界の実相というものを身につけようと努力し、父亡きあと直ちに父の会社の社長におさまっても一ぱし通用できるように常住坐臥怠るところがないのであった。今は宿屋の客ひきだが未来は高利貸し会社の社長と心に堅く思いこんでいるのである。こういう辰男であるから、かりにも孫をひきとるとあれば衝撃は深刻で、
「ビルマに兄さんの子供なんかがあるはずないけど、オヤジがあんなこと云いだすからには、兄さんの奥さんと子供が必要なんだ。だから必ずビルマから兄さんの奥さん子供と称してビルマの田舎女とその子供をつれてくると思うね。どういうコンタンだか、オヤジの商法は一般の商法では見当がつけられないけど、たとえば財産を無智盲昧な異国の女子供名儀に書き変えるような必要があるに相違ないね。だから霊のお告げッて奴を通用させちゃア我々の破滅だね。特にぼくのような一寸法師には深刻だよ。ぜひとも心霊術のインチキをあばかなくッちゃア」
 口中からのべつ泡をふきたてての必死の熱弁であり決意であった。
 勝美とミドリも、父のコンタンは判らぬながらも、とかく兄の未亡人とその子と称するビルマ人に乗りこまれては迷惑だ。たとえ父の道具にすぎない異国人でも、かりにも兄の未亡人とその子とあっては自分たちに都合のよくなるはずはない。心霊術のお告げのインチキはぜひとも見破って無効にすることが何よりなのだ。
 だから辰男らの九太夫にたのむところは絶大で、特に辰男は日どりの確定を伝えがてら九太夫の旅館を訪ねて、
「このたびはとんだお世話に相成ります。実は今朝早朝の銀河で心霊術の先生が到着いたしましてね。相談の結果、兄貴の霊をよぶ方を後廻しにいたしまして、今晩八時半から実験会の方を催します。どうぞ、よろしくお願い致します」
「左様ですか。承知しましたが、場所は?」
「父の邸で」
「それは珍しいことです。同好家の邸内ならとにかく、見知らぬ依頼者の実験に応じる時はたいがい旅館でやるものですが。運びこんだ大道具が大変でしたろう」
「それは大そうな荷物です。丸通便の宅送で相当な大荷物が一ツ。駅どめの荷物ときてはこれに輪をかけた大荷物で、おまけに当人自身が大トランク二ツぶらさげてきました。ただいまこれを開いて人を遠ざけ、自分一人でせっせと会場の準備を致しておりますが、宅送便の方がちょッとおくれて、ヒルすぎに到着いたしましたんで、オヤジと何やらモンチャクを起しておりました。この荷物は今日は使わないようです。これがいわゆる降霊術の七ツ道具かも知れません」
「そのために霊の対面が後廻しになったのですか」
「立ち入ったことは判りませんが、だいぶ父と相談いたしておったようです。父も大そう乗気でして、いつも熱海には土曜の夕方に来て月曜の朝に東京へ戻って、月曜からは東京泊りの習慣ですが、今回に限って木曜の夜こちらへ来て金土と出勤もせずに熱海泊りです。忙しい人間なんですが、よくよくでなくちゃアこんなことはありません。母が死んだ翌日ももう東京へでかけたんですからね。よほどの期待があるんですよ。いえ、何かただならぬコンタンがあるんですよ。さもなくちゃアこんな例外がある道理がありません。ぼくもね、ビルマから変な奴に乗りこまれちゃア先が真ッ暗になッちまうもんですから、旦那だけが頼みの綱で。どうか、まア、よろしくお頼みいたします」
 三拝九拝のていで、くれぐれも頼んで戻ったのである。
 その晩八時に勝美とミドリの車に迎えられて九太夫が後閑仙七の邸へついてみると、応接室には男の先客が二人いた。一人は勝美の良人茂手木文次、他の一人はミドリの良人岸井友信であった。岸井は同じ旅館業であるから組合の会合なぞで顔を合わせて知り合った間柄だが、茂手木の方は東京住いの勤め人であるから初対面だ。しかし一見したとき、ハテ、見た顔だなと思ったのである。
 九太夫は商売柄、注意力、観察力、記憶力なぞが非常によい。ちょッと印象に残った顔は電車に乗り合わせただけの顔でも季節場所なぞと共にその顔を忘れないようなタチである。茂手木を一目見て、これは軍隊で見た顔だと思った。五尺八寸もある大男、ガッシリした骨組、四角のアゴ、鋭い眼。
 やがて九太夫はアリアリ思いだした。支那で見た少尉だ。大学をでたばかりの鬼少尉だ。人斬り少尉だ。便衣隊の容疑者とみると有無を云わさず民家の住人をひッたてて得意の腰の物で首をはねていたという鬼少尉。強盗強姦にかけてはツワモノで、彼は部下に大モテだった。部下は余徳にありつけるからだ。
 九太夫は戦時に奇術師として諸方に慰問旅行をした。そのとき中支の奥の日夜銃声の絶えないところで、この少尉の部隊を慰問した。彼が部下をひきいて討伐にでかける姿を見たのである。そして彼の怖るべき所業の数々をむしろ讃美して語る人々の話をきいたのである。
 当然戦犯として捕えられて然るべき人物だが――と九太夫は考えた。こういう人間に限って急場の行動迅速で、雲を霞と三千里、昨日の敵は今日の友、めったにバカを見ることがないのであろう。
「たしか中支の奥でお目にかかりましたなア。私は奇術の慰問にでかけたんですが、慰問のはじまる前に討伐におでかけでした。その名も高い鬼少尉と承りましたが」
「いえ、とんでもない。ぼくは内地の部隊にゴロゴロしてたんです」
 茂手木はプイとソッポをむいて、つまらないことを云うなとばかり、タバコの煙をプウプウふいた。

          ★

 奇術は二階の十五畳の座敷。着席して九太夫はおどろいた。
 床の間を残して全部暗幕をおろしているのは当然だが、天井まで暗幕でおおうている。下はジュウタンを二重にしきつめているのである。
 これではどんなカラクリでもできるではないか。天井の暗幕の上からも、ジュウタンの下からもコードやヒモの細工ができる。このように暗幕とジュウタンで完全なトーチカをつくるのはもっぱらその本拠ないし同類の邸内でやる時で、見知らぬ出張先ではこれほどのことはやらない。むしろ、やれないのである。なぜなら本拠や同類の家とちがって、見知らぬ依頼者の家ではいろいろと仕掛けを改められる怖れがあるからだ。
 その代り、このように暗幕のトーチカをつくれば、相当の荒芸がやれる。たとえばユーレイをだすこともできるし、テーブルやピアノなぞを空中へ浮きあがらせることもできる。しかしそれにはそれだけの仕掛けがいるから、改められればバレるのである。
 部屋の中央にまるいテーブルがあった。しかし術者はそのテーブルに坐るのではなく、床の間とならんでボックスがあるのだ。そのボックスは後と左右の三面と上下が板張りになっており、客席に向いた正面だけが暗幕のカーテンになっている。その中にイスがあった。術者はそのイスに坐すのであろう。一般にイスに坐して手足を縛りつけるのが例である。この縄をぬけるのは簡単だ。九太夫は十秒前後でできるのである。まるいテーブルの上にはメガホンやハモニカや人形やラッパや土ビンや茶ワンなぞがのせられていた。
「このジュウタンも吉田八十松さんがわざわざ持ってきたのですか」
 九太夫はフシギに思って辰男にきくと、
「いいえ、このジュウタンは当家のものです。暗幕と箱とイスとテーブルの上の物品とが術師の物です」
「テーブルは?」
「あれも当家の物です」
 テーブルの側面にポータブルがおかれている。それも術師のポータブルであった。術に入る前後に音楽をかけるのである。
 すると中央のテーブルにだけは仕掛けがない。九太夫は術師の姿が見える前にその重さをはかってみた。かなり怪力の九太夫が辛うじて両手で持ち上げる重さであるから、ガタガタうごかすぐらいが関の山であろう。
 仙七と吉田八十松が現れて席についた。するとその後から糸子がアタフタ現れて、
「ワー。間に合った。ちかごろ土曜日が忙しくッてね。あッちこッちの坊やから誘いがかかるし。ヤレ、ヤレ」
 ドッコイショと坐った。見るとすでに吉田八十松はボックスの中のイスにかけ、仙七が手首を縄でいましめ、イスにくくりつけた。足には縄をかけなかった。
「念のため、見においで」
 仙七の言葉に辰男と糸子が立ってたしかめたが、辰男は自分でもう一巻余分にイスにまきつけた。そしてカーテンをおろし、
「あんまりきつい方じゃないが、まアまア」
 と感服しない顔でもどる。すると仙七はすでにちゃんとポータブルを前に坐っていて、
「術の前後に音楽をならす。術者はこの音楽中に徐々に術の状態に入り、また音楽中に徐々に術の状態からさめる習いになっておる。音楽をならす場合を心得てるのは私だけだから、これを私がやる。曲はユーモレスクだ。誰か電燈を消しなさい。タバコを御遠慮を願う」
 そのために灰皿の用意もなかったのだ。タバコを吸ってる者が慌ててタバコの箱で火をすり消したりしているうちに、糸子が立って電燈のスイッチをひねった。仙七がよその座敷や廊下の電燈を消しておいたので一瞬にして真の闇になってしまった。テーブル上の夜光塗料をぬった品物だけが浮いて見える。
「オーウ」
 という遠い山のフクロウのような声がきこえた。はじめて発した吉田八十松の声なのである。するとそれにつづいてポータブルが廻りはじめた。あまりその場にふさわしくないややカン高の音楽であった。
 その音楽が終りの方に近づいた一瞬、九太夫にとっては思いがけないことが起った。テーブルの向う側にドーンと重い何かが落下したからである。テーブルの上のものではない。それはそのまままだ動いたものがないからである。かなりの重みの鉄のタマのようなものらしく[#「らしく」に傍点]ドーンと落ちてころがったようだ。つづいて、
「キキキキキ、ガガガガガ、ガンガンガン」
 しッきりなしに不快きわまる大音を発するものがテーブルの向う側を動きまわりはじめた。これもテーブルの上のものではない。目に見えないものだ。何か子供のオモチャのたぐいであろうか。しかしオモチャの金属質の高音をさらに何倍もけたたましくしたようなもので、怪物どもの泣き声とも笑い声とも怒り声ともとれるような醜怪な音響だ。部屋いっぱいにはね狂うように充満して響きたつのだからたまらない。
「ウム」
「ウーン」
 諸方で誰かが呻きを発した。二三人にとどまらない。一人の呻きをきくと、ひきずられて思わずうめかずにはいられなかったのである。
 怪音が三四十秒つづいて終ると、すでに音楽も終っていた。にわかにハモニカが宙にういてプープー鳴りはじめた。人が吹いているのではない。なぜならハモニカは人の頭よりも高いところをクルクル舞い廻っているからである。突然メガホンも宙を舞いはじめた。つづいてラッパが舞い上った。三ツ一しょに目まぐるしくクルクル舞い狂ったあげく、
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