しても、すぐに、どうなるものではない。
 出陣の信長につき従った家来はたった五騎であった。それでも彼は時々路上で馬をグルグル輪型に駈けまわらせて、家来たちの何人かゞ用意して、ついてくるのを待った。そして、熱田についたとき馬上六騎のほか雑兵二百余人になっていた。
 熱田神宮に戦勝を祈って、さて出発という時に、信長は鞍によりかゝり、鼻謡《はなうた》をうたって、しばしばノロノロと号令もかけない。人の肩につるさがって瓜を食いながら街を歩いたタワケ小僧の再現であった。
 道の途中に、砦が落ち、守将の佐久間大学らが戦死した知らせがきた。道々砦から落ちてくる兵が加わり、総勢三千人ほどになった。今川軍の先鋒は大高城にはいって兵糧を入れつゝあり、義元は主力を田楽狭間《でんがくはざま》にあつめて、勝ち祝の謡をうなっていた。
 信長はそこを奇襲した。今川義元は味方がケンカをはじめて同志討ちをしているのかと思っているうち、もう織田方の侍が飛びかゝって首を斬り落されていたのである。
 信長の戦争は、いつもこんな風であった。家来の用意のとゝのうのを待たず、身のまわりのたった十人ぐらいで出陣するのは、この戦争に限っ
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