洲の信長を訪ねて、お好きの方を進上するから一羽とってくれと云うと、信長は喜んで、ヤ、こゝろざし至極満足、じゃ、貰うぜ、天下をとるまで預っておく、お礼はいずれ、その折に、と言った。田舎小僧め、大きなことを言っていやがる、と人々は大言壮語をおかしがったが、信長そのとき二十八だ。天下布武という印章をつくって愛用し、天下一の情熱を日常の友としているが、その野心は彼に限ったことではない。
天下一の野心ぐらいは、餓鬼大将は誰でも持っているものだ。けれども、自信は、それにともなうものではない。むしろ達人ほど自信がない。怖れを知っているからだ。盲蛇に怖じず、、バカほど身の程を知らないものだが、達人は怖れがあるから進歩もある。
だから、自信というものは、自分でつくるものではなくて、人がつくってくれるものだ。他人が認めることによって、自分の実力を発見しうるものである。このように発見せられた実力のみが自信であり、野心児の狙いやウヌボレの如きは何物でもない。
信長は我流でデッチあげた痛快な餓鬼大将であったが、少年時代に、短槍《たんそう》の不利をさとって、自分の家来に三間半の長槍を用意させたほど用心ぶかい男であった。つゞいて鉄炮の利をさとり、主戦武器を鉄炮にかえた。これが彼の天下統一をもたらしたのだが、この要心と見識の裏にあるものは怖れの心だ。恐らく、怖れの最高、絶対なるものである。かかる信長に、三度や四度の戦勝が、まことの自信をもたらしてくれるものではない。信長には持って生れた野育ちの途方もないウヌボレがあった。それと同量の不安があった。このウヌボレをまことの自信に変えるためには、不安と同量の、他人による、最高、絶対の認められ方が必要であった。
信長の家来たちは、餓鬼大将が、どうやらホンモノの大将らしいところもあると思ったが、半信半疑なのである。
清洲から五十町ほどの比良の城の近所にアカマ池というのがある。蛇池という伝説があり、三十町も葭《よし》の原ッパのつゞいた物怖しいところである。
正月中旬というからまだ寒い季節であるが、安食村の又左衛門という者が暮方アカマ池の堤を歩いていると、一抱えほどの黒い胴体が堤の上にあり、首は堤をこえて池の中へもぐっている。人音に首をあげたのを見ると、鹿の顔みたいなものに目玉が星のように光り、紅の舌がこれも光りかゞやいて、ちょうど人間の掌をひらいた
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