片腕みたいにチョロチョロ燃えでている。驚いて逃げて帰った。
 十日ほどして、この話が信長の耳にきこえた。直ちに又左衛門を呼んで話をきゝ、その翌日、近隣五ヶ村の百姓を召集、数百のツルベをならべてアカマ池の四方から水をかいだしたが、四時間ほどかゝっても、ヘリメが見えない。では、よろしい、オレがもぐって見て来る、と、フンドシひとつになり、御苦労様につめたい水の中へ、口に脇差《わきぎし》をくわえて、もぐりこんだ。まんなかへんで、一生ケンメイ、プクプクともぐってみたが、蛇にでくわさない。オレじゃア、もぐり方が足りないのかなと、オカへあがって、鵜左衛門《うざえもん》という水泳の達人に、おまえ、もぐってみろ、やっぱり蛇にぶつからないので、ヤレヤレ、おらんじゃないか、と清洲の城へひきあげた。これが二十九の信長だ。
 こういう実証精神は信長の持ち前である。ワリニャーニのつれてきたエチオピヤの黒人をハダカにして洗わせて真偽をためしたり、無辺という廻国の僧が、生国無辺と称し不思議の術を施すときいて、呼びよせて化けの皮をはいで追放した。追放後も婦女子をたぶらかしたことをきいて、国々へ追手をかけてヒッ捕えて斬りすてた。
 人間の妖術の化けの皮ははぐことができたが、当時にあって怪獣、大蛇の存在は、信長とても否定のできる筈はない。否定どころか、むしろ存在を信じていたから、見たくなって飛びこんだ信長であったに相違ない。その旺盛な好奇心、実証精神は話の外で、まったくイノチガケであり、人にはやらせず、まず自分がフンドシ一つに短刀くわえてジャブジャブ冬の水中へもぐりこむとは、見方によってはキチガイ沙汰である。いわゆる日本流の大名や大将のやることじゃない。家来や百姓は、イノチガケの凄味に舌をまいて怖毛《おぞけ》をふるったかも知れないが、信長の偉さの正体は半信半疑で、わからなかったに相違ない。二十九といえば、もう老成した大人というのが当時の風であるのに、この大将は五ヶ村の百姓に水をくませて、水のヘリメが見えなくて、それではと、自分ひとりフンドシ一つで水中へもぐるのである。
 これも、二十八の年である。にわかに八十人の家来をつれて、京都へ旅行した。なんのための旅行だか、誰にも分らない。四隣はみんな敵である。よきカモよ、ござんなれ、と岐阜の斎藤が数十名の刺客に後を追わせた。たまたま、これに気付くことができたから
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