国民の多くは決して好戦的ではなく、軍部と一部の好戦者が声をからしているばかりであった。反戦的な庶民が駆り立てられて軍服を着せられ、戦地へ送られ、それでも兵隊になりきれず、庶民的な魂を失うことができずにいた。
今日に於ては、人々は軍服をぬぎながら、そして、武器を放しながら、庶民的習性に帰るよりも、むしろ多くの軍人的習性をのこし、民主々義的な形態の上に軍国調や好戦癖を漂わしているのである。
先ず第一に、天皇に対する人間的限界を超えた神格的崇拝の復活である。すでに帝国ではない民主国日本に於て、天長節の復活も奇怪であるが、天皇制というものが、国内統治の一時的な方便として便利であるというタテマエならば、これは大いに間違っている。
私も、元来、政治に於ては、方便を是とするものである。政治に於ては、私は、極右も、極左も、とらない。もっとも、文学に於ては、そうではない。人間の生き方の究極というものを我が身に賭けて探してみても、所詮本人一人好きこのんでのことで、誰に迷惑がかゝるわけでもなく、自殺しようと、断食しようと、いゝではないか。
政治はそういうものではない。その影響が直接全国民の生活にはたらいているのであるから、他人にかゝる迷惑というものを、最もつゝましい心で勘定に入れていなければならないものだ。
人間というものは、五十年しか生きられないものだ。二度と生れるわけにはいかない。人間の歴史は尚無限に続き、常に人間は絶えなくとも、五十年しか生きられない人間と、歴史的に存在する人間一般とは違う。
政治というものは、歴史的な人類に関係があるわけではなく、常に現実の、五十年しか生きられない人間の生活安定にのみ関係しているものである。
政治というものは、常に現実をより良くしよう、然し、急速に、無理をして良くするのではなく、誰にも被害の少い方法を選んで、少しずつ、少しずつ、良くしようとすることで、こう変えれば、かなり理想的な社会になる、ということが分っていても、いきなりそれを実現すると、多数の人々に甚大な迷惑がかゝる、急いでは、ムリだ、と判断された時には、理想を抑えて、そこに近づく小さな変化、改良で満足すべきものである。
我々の後なる時代に、各々の時代の人が、各々の時代を少しずつ住み良くして行く。人類永遠の平和などゝいうものを、我々が自分の手で完成しようなどゝは、後なる時代の人
前へ
次へ
全12ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング