ルギーは、ついに空想をハミダシ、空想の限界を超えてしまったのである。
 筑紫なる梅のオトドが雷となって落ちたところで、せいぜい千ポンドバクダンぐらいのことだろう。筑紫一国、山の狸も、池のミミズに至るまで、ピカドンという一瞬に焼けてなくなるなどゝは、誰一人、夢想することも出来なかった。
 空想の限界を超えるに至っては、これはもはや人間のものではなく、まさしく悪魔の兇器である。それのもたらす被害は、当然利益よりも甚大であり、今日まで戦争がもたらした効能も、この悪魔のバクダン以後は、ついに被害を上廻ることは出来ないであろう。
 もとより、私の如上の計算は、科学的方法によって為されたものではない。然し、空想の限界を超す悪魔的エネルギーのもたらす被害と利益とその差如何、という如き、天文学的数字を一年間ひいたり、たしたり、したところで、出てくるものではなかろう。
 兵器の魔力が空想の限界を超すに至って、ついに戦争も、その限界に達したと見なければならない。
 兵器の魔力、こゝに至る。もはや、戦争をやってはならぬ。断々乎として、否、絶対に、もはや、戦争はやるべきではない。
 今まで戦争が我々にもたらした利益は、そして、今後も戦争が我々にもたらすと予想しうる利益は、これを戦争以外の方法に委譲する方策を立てねばならない。
 戦争が我々にもたらしたものは何か。文明の発達、文化の交流、そして、それが今後に於ては、世界単一国家となり、それが戦争の最後の収穫となるべき筈であったであろう。
 然し、もはや、ここに至って我々は、戦争の力に頼ってその収穫を待つことは許されない。他の平和的方法によって、そして長い時間を期して、徐々に、然し、正確に、その実現に進む以外に方策はない筈なのだ。なぜなら、兵器の魔力、ついに空想を超すに至ったからである。
 私は胸の思いに急ぎすぎて、結論を先に述べてしまったのである。

          ★

 今日、我々の身辺には、再び戦争の近づく気配が起りつゝある。国際情勢の上ばかりではなく、我々日本人の心の中に。
 国際情勢に対して、私の言うべき言葉は、すでに前章の短文に、つくされている筈である。私は、然し、さらに日本の同胞諸友に訴えなければならない。
 現在の日本は、戦争前のころ、否、日支事変のはじまりかけた頃よりも、さらに好戦的に見受けられる。
 日支事変の当初は、
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