ダン以前の各種の兵器のエネルギーは、まだしも、その被害よりも、利益の方が、人類の歴史的立場に於ては、大であったと私は思う。
試みに、見たまえ。わが日本に於ては、このサンタンたる敗北、この焼野原、そして群盗の時代にも拘らず、戦争によって受けた利益は、非情なる歴史的観察に於ては、被害以上となる筈である。
徳川以来、否、記紀時代以来からわだかまる独尊性や鎖国性に、ともかく、はじめて、正しい窓をあける機会を得た。まだ機会を得たというだけで、正しい窓はあけられていないけれども、この一つだけでも、日本史最大の利益であったと私は思う。
かくの如くに、戦争の与える利益は甚大なものでもあるが、一九四五年八月六日のバクダン以後は、いさゝかならず、意味が違う。
このバクダンのエネルギーの正体は、まだ我々には教えられていないが、俗間伝うるところによれば、八月六日や八月九日の比ではなく、一弾の投下によって、日本の一県、乃至、関東平野全域ぐらいに被害を与えることが出来そうな話であり、目下研究中の宇宙線というものが兵器化された場合には、原子バクダンは一挙に旧式兵器と化すほどの神通力があるそうである。
私は今、神通力と申しのべた。我々の祖先は、そして、すべての人類が、魔法とか、神通力とか、忍術などを考えた。そこには、人間の空想が無限にのべられ、祈られていた。人は空をとびたいと祈った。孫悟空はキント雲にのり、役《えん》の小角《おづぬ》は雲にのり、自雷也《じらいや》はガマにのり、猿飛佐助は何にも乗らずドロンドロンと空を走った。然し、我々の飛行機は、その夢を実現し、今や音よりも速く空を走っているのである。
エイと睨み、気合いをかけると、相手がバタリと倒れるという。そんなことは、なんですか。エイとヒキガネをひくだけで、相手の胸をぶちぬく。種子ヶ島の昔から、それぐらいの夢は、現実のものとなっていたのだ。
ゴーレムが暴れ廻ってプラーグの街をひっくりかえしたところで、ジュウタン爆撃以上にはやれないだろう。
まず大体に於て、人間の空想も、一九四五年八月六日のバクダン以前までは、科学とトコトンのところまで、行っていた。
我々の祖先の無限の空想力といえども、その魔法、神通力、忍術のすべてをあげて、八月六日のバクダンを夢みてはいないのである。夢みることができなかったのだ。このバクダンに至って、そのエネ
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