々、未来に対するボートクというもので、各時代に、各時代の人々が、その適当の向上改良を選定して行くところに、政治の正しい意味があると考える。
 私個人としては、先ず、大体に、アナーキズムが、やや理想に近い社会形態であると考えている。共産主義社会も、今ある日本の社会形態よりも、ましな形態であるのは分りきっている。然し、それを、いきなり実現しようとするのはムリだ。人類の善意と相互扶助による政府や役人のいらない社会などが、我々の理想社会として、最良のものであるのは分りきったことである。しかし、人間のすべてが賢人聖者となる以外に、かゝる理想の実現される筈もなく、又、すべての人間が、賢人聖者となりうる日が、ありうるか、どうかは、疑わしい。然し、かゝる最高の理想に向って、各時代の善意と努力をつくし、ムリをさけて、少しずつ、少しずつ、向上の歩みを怠らぬことは、政治に於て、最も望ましいことである。
 いわんや、革命とか、戦争などということは、一時的に、甚大な犠牲を強要するものである。
 私は、先に、戦争も、非情なる歴史的立場からは、むしろ効能の方が大きかった、と述べた。然し、これは、学者の研究室内に於ける真理であって、政治に於ては、真理ではない。なぜなら、政治は、歴史的な人間一般に属するものではなく、現実の五十年しか生きられない、非歴史的な生命や生活とのみ交渉しているものだからだ。真理や理想というものと、政治は、本来違っている。政治は、あくまで、現実のものであり、真理や理想へ向っての、極めて微々たる一段階であるに過ぎない。それ以上であっては、いけないのである。
 だから、政治に於ては、一時の方便的手段というものが、許されて然るべきものである。然し、天皇制の復活の如き場合は、まちがっている。
 方便の場合は、あくまで方便であり、それを利用して、次なる展開や向上をもとめているもので、あくまで、人間が方便を支配しているものなのである。ところが、天皇制の場合には、政府が方便のつもりでいても、民間に於ては狂信となり、再び愚かなる軍国暗黒時代となり、文化は地をはらい、方便が逆に人間を支配するに至る危険をはらんでいる。一人の人間を助けるために、多数の人間を殺す愚にひとしいものだ。
 天皇制というものを軍人が利用して、日本は今日の悲劇をまねいた。その失敗から、たった三年にして、性こりもなく、再び愚を
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