な》めた。まぶしさうに笑つてゐる。
「ねえ、あなた。この紅茶に青酸加里がはいつてゐたら、私達、もう死んだわね」
「いやなことを言はないでくれ」
「大丈夫よ。入れないから。私ね、死ぬときの真似がしてみたかつたのよ」
「東条大将は死ぬだらうが、君までが死ぬ必要もなからうよ」
「あなた、空襲の火を消した夜のこと、覚えてゐる?」
「うん」
「私、ほんとは、いつしよに焼かれて死にたいと思つてゐたのよ。でも、無我夢中で火を消しちやつたのよ。まゝならないものね。死にたくない人が何万人も死んでゐるのに。私、生きてゐて、何の希望もないわ。眠る時には、目が覚めないでくれゝばいゝのに、と思ふのよ」
野村には女の心がはかりかねた。語られてゐる言葉に真実がこもつてゐるのか皆目見当がつかなかつた。彼はたゞ、なぜだか、女との激しい遊びのあとの、女の白々と無表情な顔を思ひだしてゐた。あのとき、何を考へてゐるのだか、きかずにゐられなくなつてしまつた。
「君はそのとき、白々とした無表情の顔をするのだよ。僕を憎む色が目を掠める時もある。君は僕を憎んでゐるに相違ないと思ひはするが、そのほかに、まるで僕には異体《えたい》の分
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