しかし、あそこに、徳川夢声先生という珍優が一枚加わると、千|鈞《きん》の重みとはこのことである。
彼は含宙軒博士となり、含宙軒先生となり、含宙軒探偵となり、変装自在の特技者であるが、彼自身は本業を俳優と云い、文章のたぐいは副業であると称している。
しかし、私の見るところでは、副業の文章が本職の文士以上にうまいが、俳優の方は、ややダイコンである。なんと云っても、彼の修練はクラヤミに於ける声の表現で、表情や身の動きは中年からの年期であるから、宙を含むの天分ありとはいえ、年期の遅きをいかにせん。表情はいさゝかテレくさく、手の置き場所にもいさゝか困っていらッしゃる。彼の映画は見ている方が辛いのである。
ところが、表情や動きのいらないラジオとなると、さすがに違う。彼の天分は堂を圧してしまう。アア夢声は天才ナリ、と思う。そして、彼の声の登場するところ、春風タイトウとして、人心を和《やわら》げ、心底から解放を与えてくる。又と得がたい声の俳優と申すべきであろう。
しかし、近ごろはメッタに登場せず、登場してもいさゝか精彩に欠けているが、これは含宙軒師匠が禁酒しているせいだろうと思われる。
我々
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