なことがない。素直に現代と密着して、作品の中に嬉々と生存を托しているせいだろうと思う。
 終戦後の新人のひとつにラジオがある。藤倉アナウンサーの社会探訪や街頭録音にはじまって、アナウンサーがそれぞれ個性的な表現につとめるようになった。しかし、どうも型がある。特に自分も一人の演技者になろうとする努力が、まだナマで、芸になっていない。私はアナウンサーもハッキリ芸人になりきるべきだと考えているが、その芸は、役者に於ける芸とは違って、その基本をなすものはアナウンスであり、アナウンスを行う芸人なのである。
 二十の扉と話の泉はアプレゲールの新産物だが、二十の扉のメンバーは、決してカケガエのない、メンバーではない。ちょッと専門的に訓練すれば、あの程度にやれる人はいくらもあり、もッと特殊な個性をもった珍優を発掘することもできるだろうと思う。
 一朝一夕で訓練できないのは話の泉で、堀内敬三先生の如きは、まさしく戦後派新人の明星であろう。よくまあ御存知になっている。あのメンバーは、日本歴史はあまり御存知ないが、西洋歴史を良く御存知なのには呆れかえるばかりである。専門とは云え、音楽もよく御存知である。
 
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