戦後新人論
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)呉清源《ごせいげん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)千|鈞《きん》
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 終戦後、私が新人現るの声をきいたのは、升田幸三がはじまりだったようである。十年不敗の木村名人に三タテを喰わせて登場した彼であるが、木村に三タテを喰わせたという事実だけなら、さしたることではなかったろう。彼の将棋は相手に一手勝てばよいという原則を信条として、旧来の定跡の如きを眼中にしない。したがって、旧来の定跡では、升田の攻撃速度に間に合わない、などゝ言われたが、棋界は彼の出現によって、棋士の気風が一変した。既成定跡はフンサイされ、架空の権威は名を失って、各棋士が独自の新手を創造することを手合いの信条とし、日常の心構えとするようになった。
 升田をキッカケに新人雲の如く起って、西に升田を叩きつぶす大山あれば、東に木村を破って名人位を奪う塚田あり、A級の十名中には、旧人の名を見ることができない。
 一昔前と思い合せれば、月とスッポンの差があって、当時は囲碁界に於て木谷怪童丸と呉清源《ごせいげん》の両新人が現れて、碁界は三連星、天元等々新風サッソウたるにひきかえ、将棋の方は老朽七八段がガンクビを揃えて、あとにつゞく新風なく、養老院のような衰弱ぶりを示していたのであった。
 今はアベコベである。木谷は老い、日本棋院も老いた。藤沢をのぞけば、将棋に於ける如く老朽高段者をナデ斬りにするような新人の陸続たる登場はとても望めない。
 一人の藤沢あるにしても、独善的に九段を与えて、呉清源や橋本の挑戦に応じさせないという没落貴族の気位の如きものを持している。秘宝を公開しない法隆寺と同じようなバカらしさで、本因坊戦などゝいう一家名の争いを最上の行事として、実力第一の名人戦をひらいて、全世界に覇者をもとめるだけの識見もないのである。他のスポーツやゲームに於ては、すべて国際的にチャンピオンシップが争われているのに、碁に於ては、名人位を国外に持ち去らるるのを怖るるのみではなく、一日本棋院という団体以外に持ち去られることを怖れて、他の流派や団体との争碁すら差しとめている哀れさである。最も取り残されたものは日本棋院で、現代の妖怪変幻のようなものだ。
 しかし、新風を怖れる保守思想とか、自己保存思想というものは、特に芸能界に於ては、どこでも見られるものである。それがスッパリなくなったのは将棋界ぐらいのもので、ハッキリ勝負がつくのだから、それが当然にきまっていて、囲碁界では、それをやらない。まして、勝負のつけようのない他の芸能界に於ては、マカ不思議な批評の仕方や、迷信的評価規準が横行するのは仕方がないかも知れない。
 五代目はうまかった。円朝はどうだ、小さんがどうだ、今の奴はなっていない、と云う見識のない老人はみんなこう云いたがるもので、五代目や円朝、小さんの生きていたころの老人は、さらに一昔前をなつかしがって、その現代を軽蔑したに極っている。
 老人というものは、昔の時代に生きていて、現代には生きていないものであるから、そう云うのが当然で、つまり現代から捨てられ見放されている残骸にすぎない。
 安藤鶴夫氏は趣味家で、失われたものゝ良さを現代に伝えてくれる有難い人であるが、わりに老人めいたグチがなく、識見の底が広いようでいて、やっぱり濁りがある。現代に生きていないのである。
 法隆寺は今日では最も幽玄な芸術的遺物であるが、その造られた当初に於ては、俗衆の目を見はらせてアッと感嘆せしめるために、人力の限りをつくして、当時最大の豪奢を狙い、華美をつくしたもので、日光の東照宮の造営精神と異るところはなく、雅叙園の建築精神と異るところもない。
 落語とても、本来はそうで、八ッつぁん熊さんが粋がっているのも、当時の新流行で、今日の青年がジャズに興ずる如く、当時の青年の生活がそこに実存していたにすぎないのである。芸術本来の姿は常にそのようなものである。生活の中から生れてくるのである。それが時代的に生長せず、一つの型として、取り残されたところに、歪みと不健康さがあるものだ。
 今日の歌笑が落語界で人気者なのは当然だ。現代人の生活の中に生きているからだ。江戸時代に於ける落語はそうであった。あらゆる芸術がそうであった。その時代に生きていたのである。
 一昔前は、金語楼が落語界の新人であったが、彼の泥臭さに比べれば、歌笑は洗錬されてもいるし、より時代感覚に密着している。サトウ・ハチローと歌笑の座談会で、ハチロー氏が海中でクソに追っかけられる話をしている。海中で脱糞したところが、クビの横へポッカリ浮いてきた。泳いでも追っかけてくる。もぐって首を出しても、はなれない。この話に、歌笑の曰く、それは先生海だ
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