のである。又、それに伴う他との協力協定でもある。自分の都合だけではいかない。人の都合もある。共産主義だろうと何主義だろうと、政治というものは主義や理論ではなくて、こういう限定の上に立つものだ。アナーキズムの理想社会というものは、空想や理想の上には有り得ても、実際としては先ず実現の見込みはない。又、万人が過不足なく公平に幸福だということも決して有りうべきことではない。
私は共産主義や共産党に本質的な敵意をもつものではないが、ソビエット本店と日本支店は品性の低さ、下の下である。私は日本共産党というニューフェースの出現には、すくなくともマーケットや土建の何々組の出現よりはよほど期待をかけたのであるが、まったくマーケットの右に相応する左でしかなかったのである。その品性に於て同列であり、三十名も代議士を送りだした図体の大きさから云えば、施策や内容の貧困は何々組以下であったと云わなければならない。徒《いたずら》に吠えただけである。
戦後ニューフェース筆頭の大物でありながら、同時に最大の落第生失格者たるものは日本共産党であったが、この反対に、ニューフェースの及第生は何ものであろうか。
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