りのやうにユラユラと滑り出しさうになり、そして、白い空虚な部屋の中には、此処にも矢張りもんもんと滾《たぎ》る蝉の音《ね》が木魂してゐた。
 扨て、一定の時間が来て、(朝の十時がその時である――)、愈々私は出発しなければならない時がくると、私は、出掛けるにはまだ少し早すぎる時間であると考へてみたり、何かしら満ち足りない気持がして、又暫くは窓に凭つて外の風景を眺めたり、懐を探つてみたり、そして静かに倒れ伏したりするのであつた。すると、さういふ何かしら物騒がしい気配に由つて私の出発を感知した隣室では――
(其処には田代君夫婦が間借をしてゐたが、朝早く、已に夫君を会社へ送りだした其の夫人は――)
 その妻君は、私の気配を知つて、矢張り外出の仕度をしはじめたのであつた。ある理由によつて、私が不在にするときには、必ずこの人もその部屋を立ち出でる必要に迫られてゐるからであつた。
 長い惨めな生活に踏みしだかれ、痛められ通してきた此の婦人は、そして又、深い教養を持つ此の婦人は、憖《なまじ》ひに教養のあればあるだけ、自らを省みて臆病にしか振舞ふことが出来なかつたので、私に救ひを求めるやうな――それでゐて
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