たかと思ふと、家中の戸をひとわたり(勿論私の戸も――)蹴倒してしまひ、「ああ、不潔だ、ああ不潔だ、この濁つた空気は堪え難い、めまひ[#「めまひ」に傍点]がする、窒息しさうだ、w―w―w―w―w…………苛々する、ああ、苛々する、wachchchchch……」――坂道の一角を指して(其処には広い睡むたいやうな静かな緑が展けてゐるが――)走り去つてしまふのである。又例へば、真夏の宵の、厚みの深い薄明がジットリと流れかかる時分に、殆んど言ふべくもない静寂に同化し乍ら、私が、夕食の膳に向つてゐると、突然この不愉快な金属は、決して私を問題にしない無関心な顔付をして私の部屋へ這入つて来たかと思ふうちに、不意に食膳の上へ屈み、焼魚の尾鰭を二本指先で撮《つま》みあげて、汚ならしさうに窓の外へ投げ出してしまひ、「ああ、この悪臭には実に悩まされた――」と呟き乍ら清々して立ち去らうとするのである。事実といふものを決して即座には呑み込むことの出来ない私は、彼が已に後姿になつてのち初めて劇しい憎悪に襲はれるのであつたが、すると彼は、(内心私の激昂を決して無視してはゐなかつたので)、忽ち後姿にも生真面目な恐怖を表は
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