、決して然し自分の要求を露骨には表はすことが出来ずに、寧ろ自らを嘆くやうな、自らを卑しむやうな、遣り切れない心細さを漂はして、私の後を歩いてくるのであつた。しかし私は、全く反省もなく唯軽率に、人のうるささのみを専《ひた》すらに忌み嫌ふ私は、露骨に苦りきつた嫌悪の表情を表はして、寧ろ軽蔑を、――或ひは、「私は貴女と一緒には一秒といへども歩きたくない」といふ意地わるな示威を、忌々しげに表現してみせるのであつた。すると此の婦人は、更に一層の自卑を感じて――しかしその強い怒りを隠しきれずに、弱々しい反抗を、無言のうちに反撥しやうとするのであつた。
そして私は――ひたすらに人のうるささを忌み嫌ふ私は、まして、私にまつわりかかる人の感情のうるささに対しては怒りの絶叫さへ張りあげたい私は、私に加へられた此の婦人の反抗を、更らに激しい立腹をもつて叩き返さずにはゐられなかつた。私の性質として、決してまとも[#「まとも」に傍点]に整然たる理論を扱ひ得ない私は、たち[#「たち」に傍点]の良くない皮肉によつて、それは寧ろ殆んど一種の致命的な侮辱でさへあるところの悪意を籠めて、例へば、「私は貴女の夫ではありませんからネ」とか、「貴女を護衛するナイトはもう一人ある筈だから――」なぞ言ふのであつた。すると彼女は、どんなにも努力を費して、しかし余りに激しすぎた憎悪のために、結局遂に何も言ふことが出来なかつたり、或ひは又、辛うじて、「無意味なことを仰有《おっしゃ》いますな」と呟くのであつた、其の言葉に胸を突かれる私は、突嗟に激しい自卑を覚え――しかし自卑を、自卑として感じる前に忽ち其れを怒りに変へて、わけもなく逆上してしまひ、全く混乱して、
「私はもう直き死ぬのだ……」
「来年の此の季節は、もう決して二度と見られない私なのだ……」
「死んで行く人間の気持が、貴女なぞに分つて堪るものでない……」
そして私は――
斯様な言葉を殆んど噴出する火かのやうに吐き出す時に、怒りと嘆きと――それは全く際涯もない永遠のものを対象にして、私は、もし涙が迸しらなければ、この細長い身体自身を迸しるやうに、まつしぐらに駈け出させたい激情に襲はれずにはゐられなかつた。
私の逆上した混乱に、当然同化し得べくもない此の婦人は、白けた気持に押し流されて、結局私を医院の門前へまで送るやうなことになつた。そして彼女は、茫然とし
前へ
次へ
全16ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング