こへ置いてもどうせたかゞ標準にすぎないではないか。私はたゞ、私のこの標準が父の姿から今日に伝流してゐる反感の一つであることを思ひ知つて、人間の生きてゐる周囲の狭さに就て考へ、そして、人間は、生れてから今日までの小さな周囲を精密に思ひだして考へ直すことが必要だと痛感する。私は今日、政治家、事業家タイプの人、人の子の悲しみの翳《かげ》をもたない人に対しては本能的な反撥を感じ一歩も譲らぬ気持になるが、悲しみの翳に憑かれた人の子に対しては全然不用心に開け放して言ひなり放題に垣を持つことを知らないのである。
父は幼い心を失つてゐた。然しそれは健康な人の心の姿ではないので、父は晩年になつて長男と接触して子供の世界を発見しその新鮮さに驚くやうになつた。洋画を見たり、登山趣味だの進歩的な社会運動だの、さういふものに好奇の目を輝やかせるやうになつたのだが、それはもうたゞ知らない異国の旅行者の目と同じことで、同化し血肉化する本当の素直さは失つてゐる。彼自らの本質的な新鮮さはなかつたのである。
私は私の心と何の関係もなかつた一人の老人に就て考へ、その老人が、隣家の老翁や叔父や学校の先生よりも、もつと私と
前へ
次へ
全33ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング