十五の私も、四十の私も変りはないのだ。
尤も私は六ツの年にもう幼稚園をサボつて遊んでゐて道が分らなくなり道を当てどなくさまよつてゐたことがあつた。六ツの年の悲しみも矢張り同じであつたと思ふ。かういふ悲しみや切なさは生れた時から死ぬ時まで発育することのない不変のもので、私のやうなヒネクレ者は、この素朴な切なさを一生の心棒にして生を終るのであらうと思つてゐる。だから私は今でも子供にはすぐ好かれるのはこの切なさで子供とすぐ結びついてしまふからで、これは愚かなことであり、凡そ大人げない阿呆なことに相違ないが、悔いるわけにも行かないのである。
私の父には、すくなくとも、この悲しみはなかつた。然し、この悲しみの有無は生れつきの気質ではなく、人は本来この悲しみが有るものなので、この悲しみは素朴であり、父はそれを抑へるか、抑へることによつて失ふか、後天的に処理したもので、さういふ風に処理し得たことには性格的なものがあつたかも知れない。
私はだから子供の頃は、大人といふものは子供の悲しさを知らないものだときめこんでゐた。私は然し後年市島春城翁と知つたとき、翁はこの悲しみの別して深い人であり、又、会
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