では私がたつた一つ父の遺物にこれだけ所蔵して客間にかけてゐる。又父はその蔵書印に「子孫酒に換ふるも亦《また》可」といふのを彫らせて愛してをり、このへんは父の衒気《げんき》ではなく多分本心であつたと思ふが、私も亦、多分に通じる気持があり、私にとつてもそれらが矢張り衒気ではないのだが、決して深いものではなく、見様によつては大いに空虚な文人趣味の何か気質的な流れなので、私はいつも淋しくなり、侘しくなり、そして、なさけなくなるのである。
私の父は代議士の外に新聞社長と株式取引所の理事長をやり、私慾をはかればいくらでも儲けられる立場にゐたが全く私慾をはからなかつた。又、政務次官だかに推されたとき後輩を推挙して自分はならなかつた。万事やり方がさうで、その心情は純粋ではなかつたと思ふ。本当の素直さがなかつたのだと私は思ふ。その子供のそしてさういふ気質をうけてゐる私であるゆゑ分るのだ。私の父は酒間に豪快で、酔態|淋漓《りんり》、然し人前で女に狎れなかつたさうであるから私より大いに立派で、私はその点だらしがなくて全く面目ないのだが、私は然し酒間に豪放|磊落《らいらく》だつたといふ父を妙に好まない。
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