ゐない人物であつた。しかし、かういふ人物は極度に多忙なのであらう。家にゐるなどといふことはめつたにない。ところが私の親父は半面森春涛門下の漢詩人で晩年には「北越詩話」といふ本を三十年もかゝつて書いてをり、家にゐるときは書斎にこもつたきり顔をだすことがなく、私が父を見るのは墨をすらされる時だけであつた。女中が旦那様がお呼びですといつて私を呼びにくる、用件は分つてゐるのだ、墨をするのにきまつてゐる。父はニコリともしない、こぼしたりすると苛々《いらいら》怒るだけである。私はたゞ癪《しやく》にさはつてゐたゞけだ。女中がたくさんゐるのに、なんのために私が墨をすらなければならないのか。その父とは私に墨をすらせる以外に何の交渉関係もない他人であり、その外の場所では年中顔を見るといふこともなかつた。
 だから私は父の愛などは何も知らないのだ。父のない子供はむしろ父の愛に就て考へるであらうが、私には父があり、その父と一ヶ月に一度ぐらゐ呼ばれて墨をする関係にあり、仏頂面を見て苛々何か言はれて腹を立てゝ引上げてくるだけで、父の愛などと云へば私には凡そ滑稽な、無関係なことだつた。幸ひ私の小学校時代には今の少年
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